悪奨

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悪 奨(わる すすむ、生没年不詳)は、明治初期の陸軍軍人。長門国大津郡田屋原村の士族の出身で、西南戦争に従軍したが、のちに軍紀違反により免官処分を受けた。

生涯

長門国大津郡田屋原村(現山口県長門市東深川下郷)の士族・悪政雄の長男として生まれる。明治期に陸軍へ入り、歩兵少尉試補として任官した[1]

明治10年(1877年)の西南戦争では、遊撃歩兵第七大隊のうち第四中隊に配属され、石丸雄介中尉の指揮下で士官心得として従軍した[2]

戦後も軍務に服していたが、明治12年(1879年)12月、歩兵第5連隊付を命じられたにもかかわらず任地に赴かず、数か月にわたり無断で東京に滞在した。この行為が問題視され、陸軍裁判所に拘引される[3]

その結果、明治13年(1880年)8月6日、服務規律違反を理由として奪官(免官)処分を受け、軍籍を失った。

脚注

参考文献

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