悪法は法にあらず

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悪法は法にあらず(あくほうはほうにあらず、英語: An unjust law is no law at allラテン語: lex iniusta non est lex)とは、不公正なは実際にはではないとする言葉。道徳や正義に反する法には正統性はないものとする。ジョン・フィニス英語版ロン・フラーらによる自然法学と強く結びついているとされる[1]

キリスト教神学者哲学者アウグスティヌスは「私が思うに、不当な法は、実際には『法』ではない(ラテン語: nam mihi lex esse non videtur, quae justa non fuerit.)」とした[2][3]

またトマス・アクィナスは『神学大全』において、人定法の正統性とそれに従うべき場合を検討し、法は以下の三つの条件を満たす場合のみ正統なもので、従う必要があるものとした[4]

  1. 目的は公益のためでなくてはならない。(The Purpose: The law must be for the common good.)
  2. 作成はそれを作る正当な権限を持つ主体によるものでなくてはならない。(The Author: It must be in the scope of the authority making the law.)
  3. 形態について負担は平等で、すべての人に適用されるべきである。(The Form: And its burden should be equal and apply to all.)

アクィナスは、不服従はそれ自体が害であったり、人間を悪に導くものではないであろうとしている。

アメリカの作家ヘンリー・デイヴィッド・ソローは、エッセー『市民的不服従英語版』の中で、不当な法の正統性に疑問を呈した。

不当な法が存在する。(Unjust laws exist:)
我々は甘んじてそれに従うべきなのか、(Shall we be content to obey them,)
それとも、それを改めるために行動し、(or shall we endeavor to amend them,)
改められるまでそれに従うべきなのか、(and obey them until we have succeeded,)
あるいは、今すぐそれを破ってしまうべきなのか?(or shall we transgress them at once?)

マルティン・ルーサー・キング・Jrは『バーミングハム刑務所からの手紙』において、法律には「正当な法律」と「不当な法律」があり、「正当な法に従うことは道徳的責任」である一方で、「不当な法に従わないことも道徳的責任」であるとした[5]。キングは、あらゆる人種隔離法(e.g. ジム・クロウ法)は、「隔離をする者に偽りの優越感を与え、隔離される者に偽りの劣等感を与える」ために、不当な法律であるとした[5]。キングはまた、良心が不当だと告げる法を破り、投獄という罰を進んで受け入れる者こそ、法に対する最上の敬意を表しているとして、市民的不服従の正当性を主張した[5]

脚注

参考文献

関連項目

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