悲しい色やね
上田正樹のシングル
From Wikipedia, the free encyclopedia
背景
上田正樹は、1977年の上田正樹とサウス・トゥ・サウス解散後からソロ活動をしており、1981年にはCBS・ソニーに移籍したが、ヒット曲に恵まれずにいた[2]。彼の楽曲のディレクターを務めていた関屋薫は、複数の作曲家に作曲を依頼した。その中の一人である林哲司は、英語詞向けに作ったメロディを作成し、関屋に提出した[2]。
メロディを受け取った関屋は、林とのタッグで知られる作詞家の康珍化に作詞を依頼した[2]。その夜、康は「あの曲を関西弁の女性の視点からで書いてもよいか」と関屋に尋ねて驚かせた[2]。さらに数日後、康が提出した歌詞を読んだ林は「演歌みたいな曲が売れるわけがない」と感じた。その一方、関屋は洒落たメロディと関西弁の歌詞、そして上田のハスキーな歌声が合うと感じた[2]。
本楽曲は当初題名を「大阪ベイブルース」にする予定だったが、最終的には「悲しい色やね」へと変更し、「-OSAKA BAY BLUES-」を副題名として売り出された[2]。
歌詞の「にじむ街の灯」は元々「尼崎の街の灯」だったとする噂が根強くある[3]。康自身、尼崎南部の海岸から見た大阪のイメージから作詞したと発言している[4]。
B面の「Night Train To The Sky」は、上田本人が作詞・作曲を手掛けた楽曲である(編曲は井上鑑)。