惟宗義賢

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惟宗 義賢(これむね の よしかた、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族朝臣官位正五位下掃部頭太政官史生・惟宗繁材の子とする系図がある[1]

摂関家藤原頼通家司(のち政所別当)を務める一方[2]後一条朝寛仁3年(1019年)ごろ右少史を務め、右大史を経て、長元2年(1029年)左大史に任ぜられ、小槻貞行とともに大夫史に並ぶ。義賢は惟宗氏として初めて大夫史となり、以降鳥羽院政期半ばまでの100年以上に亘って、惟宗氏小槻氏と並んで代々大夫史を務めることになる[3]長元6年(1033年)ごろに貞行が大夫史を去った後、義賢は10年以上に亘って単独で大夫史を占め、掃部頭伊賀守周防権介も兼ねた。

後冷泉朝初頭の寛徳2年(1045年)子息の実長西市佑に任官させる代わりに周防権介を辞し、以降史料に現れないこと、翌永承元年(1046年小槻孝信が大夫史に任ぜられていることから、このころ義賢は大夫史を去ったか。

官歴

脚注

参考文献

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