惟恒親王 From Wikipedia, the free encyclopedia 続柄 文徳天皇皇子全名 惟恒(これつね)身位 三品・親王出生 不明惟恒親王続柄 文徳天皇皇子全名 惟恒(これつね)身位 三品・親王出生 不明死去 延喜4年4月8日(904年5月25日)父親 文徳天皇母親 藤原今子役職 常陸太守上野太守弾正尹兵部卿テンプレートを表示 惟恒親王(これつねしんのう、生年不詳 - 延喜4年4月8日(904年5月25日))は、平安時代前期の皇族。文徳天皇の皇子。官位は三品・兵部卿。 貞観3年(861年)同母妹(礼子内親王)とともに名を定められて親王となる。貞観13年(871年)四品に叙せられ、貞観14年(872年)常陸太守に任ぜられる。清和朝末の貞観17年(875年)治部卿兼上野太守となる。 陽成朝に入ると元慶元年(877年)弾正尹に遷る。元慶8年(884年)光孝天皇の即位後に兵部卿に転じると、その後宇多・醍醐朝にかけて20年の長きに亘ってこれを務めた。また、時期は不明ながら三品に至っている。 延喜4年(904年)4月8日薨去。最終官位は兵部卿三品。 官歴 注記のないものは『日本三代実録』による。 貞観3年(861年) 4月25日:為親王 貞観13年(871年) 正月7日:四品 貞観14年(872年) 2月29日:常陸太守 貞観15年(873年) 4月3日:帯剣 貞観17年(875年) 正月13日:上野太守。2月27日:治部卿、上野太守如元 元慶元年(877年) 10月18日:弾正尹、上野太守如元 元慶6年(882年) 5月11日:兼上総太守。2月14日:上野太守 元慶8年(884年) 3月9日:兵部卿 時期不詳:三品 延喜4年(904年) 4月8日:薨去(兵部卿三品)[1] 系譜 『尊卑分脈』による。 父:文徳天皇 母:藤原今子(藤原貞守の娘) 妻:不詳 脚注 ↑ 『日本紀略』 参考文献 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録』(上下巻)、戎光祥出版、2009年 Related Articles