Wikiwand AI

感應寺 (長野県根羽村)

From Wikipedia, the free encyclopedia

所在地 長野県下伊那郡根羽村大畑2168-1
位置 北緯35度15分16秒 東経137度34分57秒 / 北緯35.25444度 東経137.58250度 / 35.25444; 137.58250座標: 北緯35度15分16秒 東経137度34分57秒 / 北緯35.25444度 東経137.58250度 / 35.25444; 137.58250
山号 経王山 
宗派 日蓮宗
感應寺
所在地 長野県下伊那郡根羽村大畑2168-1
位置 北緯35度15分16秒 東経137度34分57秒 / 北緯35.25444度 東経137.58250度 / 35.25444; 137.58250座標: 北緯35度15分16秒 東経137度34分57秒 / 北緯35.25444度 東経137.58250度 / 35.25444; 137.58250
山号 経王山 
宗派 日蓮宗
本尊 日蓮大聖人像
創建年 明治40年(1907年)
開基 片桐数太郎
法人番号 7100005009680
テンプレートを表示

感應寺(かんのうじ)は、長野県下伊那郡根羽村大畑にある日蓮宗の寺院。山号は経王山。

明治38年(1905年)10月、片桐数太郎が除災祈念の為、東京四谷坂町日蓮宗経王教会を創設した行者の吉田浦子刀自を屈請して根羽村へ招き、祈祷を催したことに始まる。

その祈祷の以顕経力[1]によって吉田浦子刀自に教化を受けて帰依する者が後を絶たなかった。

吉田浦子刀自は、その後を片桐数太郎に委嘱した。

明治40年(1907年)10月、片桐数太郎の努力により道場を建立し、千葉県木更津市感應寺から日蓮大聖人像と鬼子母神像を迎えて妙法講経光結社と称した。

大正3年(1914年)11月、東京府荏原郡碑衾村常圓寺住職の永田観晃の徒弟であった遠山完薩が主任として招かれ布教を行った。

大正5年(1916年)7月14日、長野県知事の赤星典太から県指令学甲収第1132号により、妙法講経光道場教会の設置が認可された。

大正11年(1922年)、信徒が増加して道場が狭くなったため、石原庄左ェ門から現在地を譲り受けた。

昭和5年(1930年)4月、本堂及び庫裡が竣工した。

昭和17年(1942年)12月21日、法人教会の認可を得た。

昭和21年(1946年)9月10日、寺号公称の認可を得て、経王山 感應寺と称した。

昭和42年(1967年)、鐘楼堂を建立。

昭和58年(1983年)、参籠殿を建立。

平成元年(1989年)11月、庫裡を改築し、屋根替えを行った際に、月瀬で焼き60年間、屋根にあった鬼瓦を下ろし保存している。

愛知県豊田市則定町には感應寺の出張所である興照山 立正教会がある。

脚注

参考文献

外部リンク

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks