本貫は清州。元々は内贍寺の寺奴婢であったが、13歳で女官として入宮。世宗の母・元敬王后の目に止まり、昭憲王后の至密内人(チミルナイン、宮中で高位の人物の身の回りの世話などを行う女官)となった。後に世宗からの寵愛を受け、桂陽君を出産。淑儀と昭儀を経て、貴人と昇格した[1]。昭憲王后との関係も良好で王妃の末子・永膺大君の世話を引き受けている。1447年(世宗29年)に素行良好で子を多く産んだ功績として、正一品相当の慎嬪(シンビン、신빈)となった。
世宗崩御後は出家して、尼になる。周囲からは反対を受けたが、尼になった金氏の決意は堅固していた。6男の潭陽君が卒去した際、 文宗から米500石を下賜される[2]。1452年の癸酉靖難にも巻き込まれることなく、世祖即位後も丁重な待遇を受けた[3]。
1464年(世祖10年)、58歳で卒去。世祖から祭祀料として、米、豆含めて70石を下賜された[4]。
卒去翌年に建てられた華城南陽里所在の慎嬪金氏墓は極めて質素な造りであり、小さな墓碑、長明燈、祭壇の土台である床石が設置されている。現在は全州李氏大同宗約院が管理を担っている。1994年、京畿道記念物第153号に指定された[5]。