成井窯
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1970年(昭和45年)、成井恒雄が31歳の時に「一人で自由にやるのが一番」と、幼なじみたちと共に築窯した「大宿窯」[5]から独立し[6]、益子に登り窯を筑窯した[6]。
もともと成井家は益子でも有数の窯元であり「円道寺窯」と称していた。そして成井恒雄の兄である成井立歩が3代目となり、その息子である成井俊雄と共に窯を続けていた。ところが2010年(平成22年)に立歩が、そして2011年(平成23年)に俊雄が、そして2012年(平成24年)には成井恒雄がそれぞれ逝去してしまう。そして恒雄の長男である成井亙は[2]、「円道寺窯が終わってしまうのでは、という声もあった」「円道寺窯をきちんとした形で伝えていきたい」と語り、休眠中の円道寺の窯に再び火を入れることを決意した[7]
そして成井亙の妻である成井ふみ[2][8]、成井恒雄の4女であり亙の妹である川崎桃子の3人で[2]、成井恒雄と「円道寺窯」の窯場を受け継ぎ「成井窯」として作陶活動を開始した[2][4]。
2019年には写真家の高橋恭司が成井窯の器に絵付けを施すコラボレーション「炎画(ヒビ)」が企画された[9][10][11][12]。

