我妻堯
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我妻栄の次男として東京に生まれる。青春時代に敗戦を迎えたため、医学なら戦争に利用されないだろうと考え医師を志す[2]。
1955年東京大学医学部卒業。1960年同大学院生物系研究科医学専門課程博士課程修了。「妊娠中毒症の腎クリアランスに関する研究、特に四型分類との関係について」で医学博士の学位を取得、東大医学部助手となる。1962年からロンドン大学、1964年から米国ジョンズ・ホプキンズ大学で学ぶ。
1966年に帰国。愛育病院産婦人科部長、東京大学講師、同助教授を歴任。1976年国立病院医療センター(現:国立国際医療研究センター)に転じ産婦人科医長となる。1986年医長から横滑りで、厚生省(現:厚生労働省)が日本における医療援助の拠点として同センターに発足させた国際医療協力部の初代部長に就任した[2]。また、1992年に米沢有為会我妻榮記念館が開設されると同名誉館長を務めた[3]。
産婦人科医として、世界保健機構(WHO)の人口抑制計画に参画[2]。母子保健や家族計画、医事法学などの研究や発展途上国への医療協力事業にとりくんだ[4]。
著書
- 『ピル=失敗しない避妊 正しい使い方とIUDの知識』昌平社、1974年。
- 『妊娠から出産まで』婦人之友社、1976年。
- 『失敗しない避妊 今、子どもがほしくない人のために』集英社、1984年。
- 『正しい避妊の知識 より安全に、より確実に』メジカルビュー社、1986年。
- 『鑑定からみた産科医療訴訟』日本評論社、2002年。
- 『リプロダクティブヘルス グローバルな視点から性の健康をみつめる』南江堂、2002年。
- 『保健医療分野のODA 陰から光へ』勁草書房、2006年。
共編著
- 『産婦人科シリーズ no.5 受胎調節のすべて』編集 南江堂、1973年。
- 『母子保健講座』全5巻 前原澄子共編 医学書院、1973年。
- 『医師のための実用英会話』Laura J.Cassidy共著 メジカルビュー社、1982年。
- 『医事法学叢書 3 医事紛争・医療過誤』共著 日本評論社、1986年。
- 『助産学講座』全6巻 前原澄子共編 医学書院、1991年。
- 『最新育児学 第4版』内藤寿七郎編 宮崎叶,松島富之助,高橋悦二郎,高橋種昭,沢田啓司共著 医学書院、1995年。