「織田清七」名義で、「探偵趣味の会」の機関誌『探偵趣味』の第3年第10号(第24輯、1927年10月号)に掲載された。
小栗自身は、執筆のいきさつについて次のように記している。
それが、たしか
震災の年[
1923年]か、もしくは、その前年だつたと記憶する。はじめて、その時、日本人の書いた探偵小説を読んだ。作者の名前はお預りするが、現存○○○○○氏の短篇であつた。しかし、読んで、私は、こいつは下手だと思つた。それで、こんなものなら、吾輩でも書けると云ふので早速廿枚ばかりの短篇をものにしたのである。
それが、昭和○年○月号〔ママ〕「探偵趣味」に、「×××××××」〔ママ〕と云ふ題が〔ママ〕載つてゐる。但し、本名でもなく、虫太郎でもなく、△△△△〔ママ〕と云ふのが筆名である。
— 小栗虫太郎、「「紅殻駱駝の秘密」を書いたあの頃の思ひ出」[1]
小栗の生前には単行本には再録されず、1970年(昭和45年)9月に桃源社より発行された短編集『絶景万国博覧会』に初めて収録された。島崎博は、同書の解説で「恐らく、翌十一月号の作品評で不評だったことが、虫太郎自身を第二作「完全犯罪」を処女作といわしめたのだろう」[2]としている。