戦車第1師団 (日本軍)
日本軍
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沿革
1942年(昭和17年)6月、第1戦車団を基幹に満洲帝國牡丹江省(現・中華人民共和国黒竜江省)寧安県で編成され、機甲軍に属した。満州東部国境付近に配置され、教育錬成を実施し有事の際には第1方面軍に配備する計画であった。
1944年(昭和19年)4月、所属の戦車第9連隊は第31軍に編入され、サイパン島へ移動。現地で奮戦するが、戦車30両中29両を失い全滅状態となり、生き残った兵士も24人を数えるのみという総員玉砕の戦果で終焉した。
→詳細は「サイパンの戦い § 日本軍総攻撃」、および「戦車第9連隊 § 概要」を参照
次いで、所属の戦車第3連隊と師団防空隊は大陸打通作戦に加わり、帝國陸軍の勝利に貢献する。
→詳細は「大陸打通作戦 § ト号作戦/湘桂作戦」、および「長沙の戦い § 結果」を参照
1945年(昭和20年)3月、本土決戦に備えるため、戦車第1師団は日本本土へ移動し、第12方面軍第36軍に編入された。師団司令部と戦車第1連隊は栃木県佐野市に、戦車第5連隊は栃木県那須郡金田村(現・大田原市)の金丸原飛行場(のち埼玉県北埼玉郡加須町=現・加須市へ移動)に、機動歩兵第1連隊及び機動砲兵第1連隊を栃木県下都賀郡吹上村(現・栃木市)にそれぞれ配置した。
連合軍の上陸想定地を、九十九里浜を第一とし、他に相模湾、鹿島灘を考慮し準備を整えた。優勢な連合国軍の攻撃に対応するため夜間行動を予定し、筑波山東側と多摩川西側に掩蔽部を構築するなどの準備を進めた。
→「第36軍 (日本軍) § 沿革」も参照
ところが同年8月15日、第42代内閣総理大臣鈴木貫太郎がポツダム宣言を受諾、昭和天皇による玉音放送が行われて帝國陸海軍は降伏。これを受けて本師団は武装解除させられ、本土決戦で活躍することなく、その任務を終えた。
→詳細は「日本の降伏 § ポツダム宣言受諾から玉音放送まで(8月10日-15日)」、および「ポツダム宣言 § 受諾」を参照