戸沢道盛 戦国時代の大名 (1524-1604) From Wikipedia, the free encyclopedia 戸沢 道盛(とざわ みちもり)は、出羽国の戦国大名。通称は平九郎。官位は飛騨守。戸沢氏16代当主[1]。 時代 戦国時代生誕 大永4年(1524年)[1]死没 慶長9年7月15日(1604年8月10日)[2]別名 通称:平九郎[1]概要 凡例戸沢道盛, 時代 ... 凡例戸沢道盛 戸沢道盛(戸沢家歴代肖像)時代 戦国時代生誕 大永4年(1524年)[1]死没 慶長9年7月15日(1604年8月10日)[2]別名 通称:平九郎[1]戒名 天叟蓮公大居士[3]官位 飛騨守[1]氏族 戸沢氏父母 父:戸沢秀盛、母:楢岡長祐娘[1]兄弟 芳(畠山久真の室)[3]、道盛妻 本堂親条娘子 盛重、甚盛、盛安、光盛[1]、盛吉テンプレートを表示閉じる 略歴 父・戸沢秀盛の死により、享禄2年(1529年)に6歳で家督を相続する[1]。ところが、後見役の叔父・戸沢忠盛(兄である秀盛から後継者に指名されたが、秀盛の晩年に道盛が生まれたために約束を反故にされた)が反乱を起こし、道盛は母と共に角館城を追放された。しかし、重臣達は道盛を支持して逆に忠盛を追放したため、角館城に復帰した。 その後、若いうちに隠居し、移封地の常陸国にて79歳まで戸沢氏四代にわたって後見した、という説と、隠居した頃に病死している、という説がある[注釈 1]。 系譜 父:戸沢秀盛 母:楢岡(小笠原)左馬介長祐娘 室:本堂親条娘 嫡男:戸沢盛重(1551-1592) 長女:花渓永春大禅定尼[3] 次男:戸沢甚盛(?-1624) - 自ら出家して小沼山源東寺の住職となる[3] 三男:戸沢盛安(1566-1590) 四男:戸沢光盛(1576/77-1592) 五男:戸沢盛吉 - 左兵衛尉 脚注 注釈 [1]『戦国人名事典』では慶長9年(1604年)7月、孫の政盛の移封先である常陸小河城で死去とある[1]。また、『最上郡史料叢書』「戸沢年譜」では天正6年(1578年)8月12日に53歳で死去したとする異説も掲載されている。 出典 [1]阿部 & 西村 1990, p. 544. [2]嶺金太郎 編「戸沢年譜」『最上郡史料叢書』葛麓社、1925年、9頁。 [3]西木村郷土史編纂会 1980, p. 38. 参考文献 阿部猛; 西村圭子 編『戦国人名事典』(コンパクト)新人物往来社、1990年9月。ISBN 4-404-01752-9。 西木村郷土史編纂会 編『西木村郷土誌』1980年、38頁。doi:10.11501/9570507。https://dl.ndl.go.jp/pid/9570507/1/41。 Related Articles