市指定史跡(1972年(昭和47年)11月)。
元々は承久3年(1221年)の承久の乱、「摩免戸の戦い」での鎌倉、京都両軍の戦没者供養のため、後年(戦国時代以降)、この地の人々の手により西宮寺(前渡西町地内)に安置されていたものである。その後、木曽川の氾濫により寺は流され供養塔も埋もれたままになっていたが、昭和初期の県道工事の際、前渡地区の各地で発掘される。当時の住民はこれらの五輪塔を承久の乱の戦没者を供養したものと考え、前渡の桃春院に集め、その後矢熊山に移転安置された。
以来毎年6月5日に供養祭が行なわれている。
また、仏眼院では承久の乱供養塔の印の授与も行われている。