指田文夫
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1948年3月、東京都大田区池上に生まれ[1]、5人きょうだいの末子として、池上本門寺の近くで育った[2][3]。父親は、小学校の校長をしていたが、文夫がまだ小学生だった1958年に現職のまま病死し、以降は、母親のもとで、叔父の支援を受けながら大学まで進んだ[3]。
東京都立小山台高等学校から[2]1966年に早稲田大学に進み、劇団演劇研究会に参加した[4]。留年を経験して[2]、1972年に早稲田大学教育学部英語英文科を卒業し、横浜市役所に入職した[1]。以降、市役所職員として、横浜市会事務局、区役所福祉課長[5]、中央図書館担当部長[6]、栄図書館長[7]などを経験した。
1982年から『ミュージック・マガジン』に演劇評などを寄稿し始めた[1]。
横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)の開業前後の時期には、横浜市職員として出向しており、1991年から1996年にかけて6回開催されたウォーマッド横浜の企画立案に関わった[1][8]。
2008年にアフリカ開発会議 (TICAD IV) が横浜市で開催された際には、記念イベントとして『やし酒飲み』を高校生ミュージカルとして上演した[1][9]。