キリシタン大名だった大村純忠は、日本の寄港地を探していたポルトガル人の希望に応じて、1571年(元亀2年)に長崎を開港地とした[1]。天然の良港だった長崎はポルトガルの寄港地として定着する一方、純忠は周辺大名からの圧迫に苦しむ立場だった[2]。南蛮貿易を保持する目的で、純忠はイエズス会巡察使だったアレッサンドロ・ヴァリニャーノに対して、長崎を同じく領内の茂木とともに会に寄進することを申し出た[2]。これにより長崎の司法権・行政権はイエズス会が持つことになった[2]。
しかし、豊臣秀吉が九州を支配下に収めると、長崎の統治権を没収し、イエズス会による統治は終了した[1]。