教育測定運動
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教育測定運動以前の学校における学力評価は、教師による観察と口頭試問や論文体形式による試験を組み合わせたものが主であり、どの教師が評価者となるかによるブレ、試験の採点評価の振れ幅が大きいことが問題視されていた[1][2][3]。また、初等教育が普及していく中で、新たに学校に入学する児童の発達状況の把握、発達状況に適した教育課程の選択を求める動きも現れ、1904年から1911年にかけてアルフネッド・ビネーがビネー式知能検査法を開発、同検査法を発展させる形で1916年にルイス・ターマンがスタンフォード=ビネー知能尺度を完成させる[2][4]。同時に、近代的な科学的測定手法は学力測定にも応用可能であるとの信念を持ったエドワード・ソーンダイクやその教え子たちが多肢選択法や組み合わせ法を用いた客観テスト手法を開発していく[3][4]。
これらの一連の研究の流れは、アメリカ合衆国における1917年の軍隊テスト開発で合流し、大量の新兵の適性を効率的に測定・部隊配置していくための手法として採用され、その手法は学校教育や産業界にも広まっていった[2]。客観テストによるペーパーテストが急速に普及・利用が拡大したことから、1910年代から1920年代はテスト狂時代ともいわれる[2]。
日本においても、ビネーの知能検査法やアメリカでの先行事例が研究され、岡部弥太郎や田中寛一らが正規分布曲線による相対評価法を学校教育に導入、久保良英や鈴木治太郎らによる知能テスト開発などの動きが現れる[1][5]。1922年に東京高等師範学校附属中学校が学力試験を論文体試験から客観テストに変更、1924年に淡路円次郎らが雑誌『テスト研究』の刊行を開始するなど広がりを見せていった[5]。
批判と教育評価への転換
教育測定運動によって、伝統的な学校教育の中で問題視されていた教師・評価者の主観に基づく曖昧な評価が排されていくが、客観テストの結果のみを信じることへの疑義、知識偏重型の教育であるとの批判も次第に強まっていく[1][3]。ジョン・デューイやウィリアム・バグリー(英語版)らが教育測定運動の全盛期に当たる1920年代から批判を開始する[2][6]。1930年代に入ると、進歩主義教育協会(英語版)に所属する研究者たちによって新たな教育理論が模索され、同協会が1933年から1941年にかけて実施した「8年研究(英語版)」によって、教育測定に替わるものとして教育評価理論が構築されていく[2]。8年研究で中心的な立場にいたラルフ・タイラー(英語版)は、客観テストの結果を単純に数量的に評価する教育測定運動を、測定のための教育・テストのための教育であると批判し、教育目標への到達度の状況、教育内容の妥当性評価へと転換を図っていく[5][6]。
日本では1930年代以降も教育測定運動の影響は残ったが、客観テストの普及と同時期に勃興した大正自由教育運動の影響もあり、客観テストの結果のみでは児童の内面や可能性は評価できないとして生活綴方運動などの民間教育運動も並行して発展していく[1][5]。また、満洲事変以降は戦時下体制に入ったこともあり、アメリカで発展した教育評価理論が移入・定着していくのは第二次世界大戦後となる[2][5]。
出典
- 1 2 3 4 田中耕治 編『よくわかる教育評価 第3版』ミネルヴァ書房、2021年、230-231頁。ISBN 978-4-623-09164-5。
- 1 2 3 4 5 6 7 『教育評価事典』図書文化社、2006年、36-39頁。ISBN 978-4-8100-6471-1。
- 1 2 3 梶田叡一『教育心理学への招待』ミネルヴァ書房、1995年、158-159頁。ISBN 978-4-623-02531-2。
- 1 2 田中耕治「第1章 シカゴ学派の成立」『「教育評価」の基礎的研究 「シカゴ学派」に学ぶ』佛教大学、2022年、5-23頁。ISBN 978-4-623-09331-1。
- 1 2 3 4 5 天野正輝『教育評価史研究 教育実践における評価論の系譜』東信堂、1993年、207-221頁。ISBN 978-4-88713-166-8。
- 1 2 江見佳俊 編『教育実践のための心理学2 生徒指導・教育評価・特殊教育』学術図書出版社、1991年、113-115頁。ISBN 978-4-87361-522-6。