文益漸
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 文益漸 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 문익점 |
| 漢字: | 文益漸 |
| 発音: | ムン・イクチョム |
| 日本語読み: | ぶん えきぜん |
| ローマ字: | Moon Ik-chum |
文 益漸(ぶん えきぜん[1]、ムン・イクチョム、朝鮮語: 문익점、1329年 - 1398年)は、高麗末期から李氏朝鮮初期の文官。字は日新、号は三憂堂。江城県(現・慶尚南道山清郡)の人[1]。本貫は南平文氏[2]。
1329年、貴族の次男として出生し、12歳の時に李穀の門下生となる。1360年に科挙に合格、1363年に使節の随員として元に赴く[3]。当時の元は、綿花の種子の他国への持ち出しを禁止していたが、元の農業書を勉強していた文益漸は農業に関心を抱き、帰国する際に木綿の種子・糸車・糸繰り・機織の技術や用具を持ち帰り[1]、帰国後に漢人の僧侶の手助けの下、綿花の栽培を始めた[3]。