斎藤制剛
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小学校、中学校、高校までは北海道代表として全国大会で活躍し、高校3年時には得意の内股、大内刈、寝技を武器に[2]インターハイの中量級で優勝。北海高等学校卒業後は国士舘大学に進学し、国士舘大学が全国制覇した際には主将としてチームを牽引した[3]。
大学卒業後は旭化成[3]に籍を置き、個人戦で講道館杯を4連覇、全日本選抜体重別選手権で2連覇、全日本実業個人選手権で3連覇するなど同階級の第一人者として活躍した[4]。
しかし、大学4年時と社会人1年目に相次いで両膝を故障(靱帯損傷)した影響により、それまでの正攻法の柔道から肩車・朽木倒・返し技などの変則柔道に偏重していった事や[2]、同階級に飛塚雅俊、矢嵜雄大、泉浩といった強豪が揃っていたなど数々の不運もあり、オリンピックや世界選手権に個人代表として出場する事は無かった(2005年には全日本選抜体重別選手権で優勝するも、「外国人選手を相手に結果を残していない」という理由で同年の世界選手権代表には選ばれなかった[2])。
2010年からは所属する旭化成(延岡道場)の柔道部監督に就任し後進の指導にあたっているが、本人は「まだ引退していないつもり」と言う[2]。
なお、弟である順道も全日本体重別選手権や講道館杯、全日本選抜体重別選手権等で活躍し、現在は母校である北海高校の教諭を務める[5]。