新宿純愛物語
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登場人物
既刊一覧
新書版
- 桑原譲太郎 『新宿純愛物語』 講談社〈講談社ノベルス〉、1986年1月29日発売[1]、ISBN 4-06-181230-0
文庫版
- 桑原譲太郎 『新宿純愛物語』 講談社〈講談社文庫〉、1987年5月14日発売[2]、ISBN 4-06-184028-2
映画版
| 新宿純愛物語 | |
|---|---|
| 監督 | 那須博之 |
| 脚本 | 那須真知子 |
| 原作 | 桑原譲太郎 |
| 製作 |
黒澤満 青木勝彦 |
| 出演者 |
仲村トオル 一条寺美奈 |
| 音楽 |
都志見隆 埜邑紀見男 |
| 撮影 | 浜田毅 |
| 編集 | 山田真司 |
| 製作会社 | 東映洋画 |
| 配給 | 東映 |
| 公開 |
|
| 上映時間 | 95分 |
| 製作国 |
|
| 言語 | 日本語 |
| 配給収入 | 5億円[3] |
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刊行翌年の1987年7月、『ビー・バップ・ハイスクール』で人気を得た仲村トオルと[4]ヒロイン役の一条寺美奈主演で[4]映画化された[4][5][6]。
ヒロインには当初、中山美穂が予定されていた[7][8]。製作決定を報じた『プレイガイドジャーナル』1987年3月号にも「仲村トオルと中山美穂の出演」と書かれている[8]。併映『恐怖のヤッちゃん』の監督・金子修介が東映本社の岡田茂社長に挨拶に赴いたところ、社長室に仲村トオルと中山美穂のポスターが多数飾られており[7]、金子も「ヒットの相伴に預かれる」と期待したが、撮入直前に中山が降板し、急遽仲村の相手役を公募して一条寺美奈がヒロインに抜擢された[7]。このため興行成績は振るわなかったとされる[7][9]。渋谷パンテオンでは8週間予定が、2週間で打ち切られ、繰り上がって封切が早まった『ハチ公物語』の都内最大級のキャパでの夏休み上映で、同作のこの年度最大のヒットに寄与した[9]。
ストーリー
新宿午前11時、幸運も不幸もまとめて招くという愛猫"チャコ"が、屈強な男と美少女を引き合わせる。自称手配中の"
スタッフ
- 監督 - 那須博之
- 企画 - 長谷川安弘
- プロデューサー - 黒澤満、青木勝彦
- 原作 - 桑原譲太郎
- 脚本 - 那須真知子
- 撮影 - 浜田毅
- 音楽 - 都志見隆、埜邑紀見男
- 音楽プロデューサー - 高桑忠男、石川光
- 挿入歌 - 仲村トオル&一条寺美奈「新宿純愛物語」
- オープニングテーマ - 仲村トオル「哀しみ無宿」
- エンディングテーマ - 仲村トオル「傷だらけのHAPPINESS」
- サウンドトラック盤発売 - ファンハウス
- 照明 - 安河内央之
- 美術 - 菊川芳江
- 録音 - 橋本文雄
- 編集 - 山田真司
- 技斗 - 高瀬将嗣
- キャスティング - 飯塚滋
- スチール - 久井田誠
- 助監督チーフ - 鹿島勤
- 製作担当 - 川崎隆
- 企画協力 - 斉藤佳雄
- 助監督 - 北浜雅弘、鈴木宏志、中田秀夫
- 製作協力 - セントラル・アーツ
- 製作・配給 - 東映[5]
キャスト
- 白井組
- 白井寿一 - 松井哲也
- 狂犬四天王・政 - 木村健吾 (新日本プロレス)
- 狂犬四天王・竜 - 大矢健一 (新日本プロレス)
- 狂犬四天王・健 - 瀬木一将
- 狂犬四天王・金田 - 志賀実
- 松宮 - 土岐光明(ビー・バップ軍団)
- 佐山 - 睦五郎
- 鈴村 - 安岡力也
- 田代 - 阿藤海
- 勝間田 - 江夏豊
- 悪徳刑事
- 他
- 趙方豪
- 南春雄 - 古川勉(ビー・バップ軍団)
- 村田秀夫 - 上野隆彦(ビー・バップ軍団)
- サボイのウェイター・石田 - 石井博泰(ビー・バップ軍団)
- ブティックの店員 - 泉じゅん
- 高山瑛光
- 影山英俊
- 飯島大介
- 溝口拳
- 団巌
- サボイの支配人 - ポール牧[5]
製作
脚本
先述の『プレイガイドジャーナル』1987年3月号の作品紹介には「仲村トオル扮する若者が恋した少女(中山美穂)の父親がやくざだったことから、やくざ抗争に巻き込まれる」と書かれているが[8]、仲村と少女のバックグラウンドは割愛されている。脚本の那須真知子は「原作とは全然違う話にしたかったけど、1ヵ月しか時間がなくて痛恨の思い」と述べている[11]。
キャスティング
ヤクザ組織・白井組の狂犬四天王・竜役は、木村健吾と同じく新日本プロレスの越中詩郎が演じる予定だったが[10]、栃木ロケ初日の1987年4月27日午後2時半、現地で木村健吾が那須監督に「越中が試合で怪我をした」と報告[10]。これを受け、翌4月28日に那須監督がロケ先の宇都宮市から東京に戻り、新日本プロレスに出向いて代役を面接し、当時ヤングライオンだった大矢健一が代役を務めた[10]。那須もスタッフ、マスメディアも大矢を知らず、製作当時の文献には「代役の人」と書かれている[10]。髪を切ってすぐに現場に連れて行き、夕方6時からの撮影に間に合わせた[10]。
作品の評価
仲村トオルが公開中にセントラル・アーツの黒澤満と大阪に行き、梅田東映で休憩していたら、館主に「あんたの今の映画、平日の入り見たら寝込むで」と言われた[12]。ショックで、最初は映画の現場が楽しいだけだったが、以後、仲村は映画に対してもの凄く考え込むようになったと話している[12]。
『映画秘宝』は「『ビー・バップ・ハイスクール』の成功で、押しも押されもせぬ『ヒットが約束された監督』になった那須監督だが、仲村トオル主演の和製『ストリート・オブ・ファイヤー』こと『新宿純愛物語』以降、迷走状態に入ることになる」などと評している[13]。高瀬将嗣は『具体的には指摘できないけれど、那須監督の映像作家としてのピークはもう終わったという人も少なくなかった。だから彼の念願の企画だったという『デビルマン』も酷評された」などと評している[13]。
同時上映
『恐怖のヤッちゃん』
ネット配信
脚注
- ↑ “新宿純愛物語”. 講談社. 2024年1月4日閲覧。
- ↑ “新宿純愛物語(文庫版)”. 講談社. 2024年1月4日閲覧。
- ↑ 「邦画フリーブッキング配収ベスト作品」『キネマ旬報』1988年(昭和63年)2月下旬号、キネマ旬報社、1988年、191頁。
- 1 2 3 「映画界重要日誌」『映画年鑑 1988年版(映画産業団体連合会協賛)』1988年12月1日発行、時事映画通信社、13頁。
- 1 2 3 新宿純愛物語 - 国立映画アーカイブ
- ↑ “新宿純愛物語”. 日本映画製作者連盟. 2023年9月26日閲覧。
- 1 2 3 4 金子修介の雑記 "Essay":ポールダンシングボーイず2011年06月02日 - livedoor Blog
- 1 2 3 「CINEMA RANDOM」『プレイガイドジャーナル』1987年3月号、プレイガイドジャーナル社、27頁。
- 1 2 春日太一『黙示録 映画プロデューサー・奥山和由の天国と地獄』文藝春秋、2019年、118–119頁。ISBN 9784163911083。
- 1 2 3 4 5 6 「仲村トオル 『新宿純愛物語』(7月4日(東映系)ロードショー 53日間のハードスケジュール全公開 撮影日記/一挙公開!!全ストーリー」『週刊明星』1987年7月9、16日号、集英社、51–55頁。
- ↑ 桂千穂「クローズアップ・トーク 普通のOLから『ビー・バップ・ハイスクール』などの売れっ子シナリオライターへ アメリカ映画に負けない娯楽映画を! <ゲスト>那須真知子」『シナリオ』1990年1月号、日本シナリオ作家協会、11頁。
- 1 2 「私と東映映画(Part15) 仲村トオル(俳優) 『デビュー25周年で東映作品に戻ってきた~東映は実家のある地元です』 文・金澤誠」『東映キネマ旬報 2010年夏号 vol.15』2011年8月1日、東映ビデオ、11頁。
- 1 2 「『セーラ−服/百合族』から『ビーバップ・ハイスクール』そして『デビルマン』で『映画秘宝』死んでほしい奴No.1となった那須博之の映画と人生 緊急スペシャル!! 体力監督葬送組曲」『映画秘宝』2005年5月号、洋泉社、47頁。