新田俊純の次男で、幼名は岩松誠丸。俊純は交代寄合旗本で、新田氏の傍流で元は岩松氏を称していたが、南朝の忠臣の子孫のため、男爵を賜る。夫人は毛利元純五女の磯子。
大阪陸軍幼年学舎で学んだのちパリに留学した。1882年(明治15年)に外務省公信局御用掛となり、1894年(明治27年)、父が没したため家督を継ぎ、男爵を襲爵した。同年4月5日に忠純と改名[3]。1897年(明治30年)7月10日に貴族院議員となり[4]、1925年(大正14年)7月9日まで4期在任した[2]。1931年に76歳で没した。