新納久饒 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代 - 江戸時代前期生誕 天文16年(1547年)死没 寛永元年8月17日(1624年9月29日)改名 久饒→遊甫(号) 凡例新納久饒時代 戦国時代 - 江戸時代前期生誕 天文16年(1547年)死没 寛永元年8月17日(1624年9月29日)改名 久饒→遊甫(号)別名 通称:新四郎、五郎右衛門戒名 是信一以主君 島津義久→義弘藩 薩摩藩氏族 新納氏父母 父:新納康久兄弟 又八郎、久饒、旅庵、忠秀、田尻但馬室、伊地知重政室子 新四郎養子:久詮テンプレートを表示 新納 久饒(にいろ ひさあつ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。薩摩国隈城地頭。 天文16年(1547年)、新納氏庶流・新納康久の次男として誕生。 龍造寺氏、阿蘇氏との戦いに参加。天正13年(1584年)には肥後国合志城を攻略する功績をあげている。島津義久が豊臣秀吉から琉球征伐の命を受けると、天正18年(1590年)に義久の命で琉球への使者となった。文禄3年(1594年)、文禄の役で島津忠恒の渡鮮の際に兵糧を調達、飢えに苦しんでいた軍勢を助ける等の功績があった。 乱世の中長寿を全うし、寛永元年(1624年)、死去。享年78。 フランシスコ・ザビエルが布教のために薩摩へ訪れた際に、久饒の父・康久の居城である市来鶴丸城に立ち寄った事があった。久饒は母や弟・旅庵と共にザビエルから洗礼を受けたといわれている。 Related Articles