生年不詳だが、誕生日は8月10日であることが確認できる。
乾隆27年(1762年)6月27日、新常在に冊封された。
彼女はラマ教(チベット仏教)を信仰しており、豫妃ボルジギト氏と親しい関係にあった。また、新貴人は豫妃の親族であった可能性がある。
乾隆38年(1773年)12月20日、豫妃が死去した際、記録には以下のように記されている。
「喪礼のしきたりに従い、新常在・吉安は喪服を着用し、日常の使用として黒炭20斤(約12kg)、薪20斤(約12kg)を宮廷より支給された」。
乾隆40年(1775年)5月以降、新貴人に昇格。
しかし、同年6月13日卯の刻(午前5時〜7時)、熱河(現在の河北省承徳)で薨去。
同日巳の刻(午前9時〜11時)、金棺に納められ、翌日6月14日辰の刻(午前7時〜9時)に静安荘(清朝の皇族用の霊廟)へ移送され、新たに造られた邸宅に安置された。
同年10月9日、新貴人の遺品が整理・提出された。
乾隆49年(1784年)9月8日、裕陵妃園寝(乾隆帝の陵墓内の側室の墓域)に埋葬された。