方禹鼎

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方 禹鼎(パン・ウジョン、ほう うてい、1772年10月19日 - 1820年10月9日)は、李氏朝鮮後期の武臣。字は九汝、号は暉斎。本貫温陽方氏。判書公派の方曙の末裔にあたる。弟の方禹準の五世の孫の方定煥に独立運動家がいる[1]正祖時代に武科に合格し、1803年に奏請使兼冬至正使沈能建に附い、に行った。

1811年に洪景来の乱が起きると西征軍の左哨官として従軍し定州城南門を合力して攻撃して陥落に功を立てた[2]。1816年に求礼県監を務めた[3]哲宗時代に兵曹参判に追贈された。

墓は京畿道加平郡月谷里にあった。

著書

参考文献

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