『鉗狂人』の中で、宣長は天照大御神が四海万国を照しますと発言をした。秋成は宣長への書簡で疑問を投げた。ここから日の神論争が始まる。天照大御神が世界を照らす太陽とする神話解釈は正しいのか、それとも正しくないのか。秋成は正しくないとした。以下、両者の発言を抜粋、補足する。
秋成は神代記から天照大御神が照らす範囲、照らさない範囲を探した。そこで「此子光華明彩、照徹於六合之内」、また「又閉天岩戸、而刺許母理坐也、爾高天原皆暗、葦原中国悉闇、因此而常夜往」を例として挙げた。六合は本来、天地四方を指すがこの文では日本を指していると秋成は仮定した。天照大御神が天岩戸に隠れて暗くなったのが葦原中国と名指しされた点からも明らかであると秋成は主張した。
秋成)「此外に、御国のみならす、天地内の異邦を悉に臨照ましますといへる伝説、何等の書にありや」。
次に秋成は書典はわづかに三千年来の小理にて、取あふましき旨なれは、さし置くべしとして日本と西洋の画論にすすんだ。『鉗狂人』で宣長が貞幹を非難する発言に「書典にのする所。三千年にたらざる内の事にして」とする箇所がある。
ついで世界地図の上に視点をおろした。
秋成)「文字以て(日本と)事理の通ふ国は少にして、其余は国号をさへ聞知らぬが多く、しかも地形広大なるが見えたり。此図(世界地図)中にいでや吾皇国は何所のほどゝ見あらはすれは、たゝ心ひろき池の面にさゝやかなる一葉を散しかけたる如き小嶋なりけり。然るを異国の人に対して、此小嶋こそ万邦に先立て開闢(かいびゃく。世界の始まり。天地の開け始め。)たれ、大世界を臨照まします日月は、こゝに現しましゝ本国也、因て万邦悉く吾国の恩光を被らぬはなし、故に貢を奉て朝し来れと教ふ共、一国も其言に服せぬのみならす、何を以て爾いふそと不審せん時、こゝの太古の伝説を以て示さむに、其如き伝説は吾国にも有て、あの日月は吾国の太古に現はれましゝにこそあれと云争んを、誰か截断して事は果すへき」
秋成は天竺、漢土の日月神話の例を引き「猶文字の通はぬ」国々にも種々の「霊異なる伝説有て、他国の事は不可肯」とした。
秋成)「たた、此国(日本)の人は、大人(宣長)の如く(日本の)太古の霊異なる伝説をひたふるに(いちずに。熱心に。ひたむきに)信し居らんそ直かるへき(当然です)」
それは人情である。しかし
秋成)「言を広めて他国に対する論は馭戎慨言の如きも取舎の眼あるへき書也。書典はいつれも一国一天地にて、他国に及ほす共、諺にいふ縁者の証拠にて、互に取りあふまじきこと也」
この発言の背景には、日本は海内無比の上国であり、唐、天竺、西欧などの諸国は下国である。『古事記』に登場する日本の神は世界万国共通のものであるという本居宣長の神話論を展開した『馭戎慨言』(1778)に対し、上田秋成が『往々笑解(おうおうしょうかい、と読む説あり。現存せず)』という本を書いて批判した出来事があった。
秋成に対して宣長は頭から居丈高な態度で反論した。
宣長)「例の漢意(からごころ)にくゝられたる物なれば、今さら辨(弁)するもうるさけれど、猶いさゝかいはゞ、此大御神、天地内の万邦を悉(ことごと)に照し給ふといへる伝説、いづれの書にあるにかといへるは、いと愚也」
宣長)「まづ、書紀に照徹六合とあるをは、姑く御国のことに借りていへりと説曲(トキマゲ)たるにゆるす共、日神と申す御号をいかにせん。猶是をも仮リに然名けたりと説曲んとする歟。書紀一書に、使照臨天地ともあるをばいかんとかする。唐天竺なとの天地は、皇国の天地と別なるにや。又一書に、日月既生、次生蛭児、是はいかに、日神月神とあるをは、猶日月にあらすと強ていひまぐ共、たゞ日月とあるをはいかにとかする、猶此類多し、神代紀をよく見よ。但し、唐天竺の日月は皇国の日月とは別也とするにや。いふかしいふかし(疑わしい。はっきりしない)」。
次に、秋成の画論、世界地図に始まった日本を含めた国々の客観的存在、また日本の神話と世界の神話の相対性を指摘する合理的批判にも宣長は正面から否定した。
宣長)「画の論はこゝに何か用かある。又阿蘭陀の人物の論も用なきこと也。」「さて万国の図を見たることを、めつらしげにことことしくいへるもをかし。かの図、今時誰か見ざる者あらん。又皇国のいとしも広大ならぬことも、たれかしらざらん。凡そ物の尊卑美悪は、形の大小にのみよる物にあらす。数尋の大石も、方寸の珠玉にしかず。牛馬形大なれ共、人にしかず。いかほと広大なる国にても、下国は下国也。狭小にても、上国は上国也」。世界地図は南極の下の方にあって草木も生えない人もいないが大よそ地球の三分の一を占める国があるが「定めて上田氏は、これを四海中の最上の国と思へるなるへし」(一部省略)
秋成の相対性を美醜尊卑の価値観で否定した宣長は皇国絶対化志向を続けた。
宣長)「
抑皇国は四海万国の元本宗主たる国にして」、国土が小さいことは「必さて宜しかるべき深理のあることなるへし、其理はさらに凡人の小智を以てとかく測り識へきところにあらす、かくいはば又例の不測に託すといふけれど」、日本の国土が小さい理由は人智を超えており、そういえば上田氏はいつもの如く
不可知論に逃げ込むのだというだろう、しかし「不可測のことを不可測といはで何とかいはむ。不可測をしひて測りていはむとするは、小智をふるふ漢意の癖なり」(一部省略)
宣長は見て分かることでも日本はすばらしい国であると例証を挙げた。
宣長)「皇統は不易である。人の命をつなぐ稲穀は美しく世界の在り様とは隔絶している。その外にも数えようのないすばらしい点がたくさんある。国土は小さくても古代より外国には侵されたことはない。元寇も退けた。他の国は併呑されても日本は残った。此の一事を以っても不可知な理が日本にはある」(訳文)
宣長)「又、もろこしの国なとは、諸の戎の中には殷富の国と聞えたれとも、皇国に比すれば猶おとれり、皇国は彼に比すれは、境域はこよなく小狭なれ共、田地甚多くして人民の多きこと、彼国のよく及ふ所にあらす」。「宇内に於て皇国に及ふ国なし」
では、なぜ秋成はその真理が分からないのか。宣長から見ると、秋成の発言は自分が何者か自覚がないまま筋道の通った言説を用いる。それはうわべだけの道理に動かされて自動的に物事を解釈してしまうメカニズム、漢意そのものなのに本人が分かっていないからである。
宣長)「然るに世の人たゝひたすらに漢籍にのみ惑ひて、皇国のかくの如く勝れて尊き子細をしらす、今上田氏も又た舊轍に泥みて、これをさとることあたはす。皮浅の論難をなすは、そもいかなる禍事(まがこと)ぞや。太古の傳説、各国にこれありといへ共、外国の傳説は正しからす。或はかたましを訛りて傳へ、或は妄に偽造して愚民を欺くもの也。漢字の通ぜざる国々の傳説も、大氐類推すべし。かの遥の西の国々に尊敬する天主教の如き、皆偽造の説なり」
宣長)「然るにわが皇国の古傳説は、諸の外国の比類にあらす。真実の正傳にして、今日世間〔界〕人間のありさま、一々神代の趣に符合して妙なることいふへからず、然るを上田氏たゝ外国の雑傳説と一ツにいひおとして、この妙趣をえさとらざるは、かの一点の黒雲いまた晴ざるか故也。この黒雲の晴ざる程は、いかほと説きさとす共、諺にいはゆる馬耳東風なるべし」
秋成が真理を見つけるにはどうしたらいいか。それは道理や観念の働きにより自分自身に「ひがこと」を言わせている点を悟るしかない。ここで一つの例を宣長はあげる。藤原定家による小倉百人一首の巻頭の色紙、それはどこにあるかは知らないが世界に一枚しかない。ここに十人の人が色紙を持っていたとする。当然に本物は一枚で残りは偽物である。これは真の古傳説は一つであるのと同じである。
宣長)「かくて上田氏の今の論は、皆是を贋物なりと云て、十枚ながら信ぜざるが如し。これ贋物なることを知てあざむかれざるは、かしこきようなれども、然れ共其中に一枚はかならず眞物のあることをえしらずして、大づもりに皆一ツに思へるはいかにぞや、是なまさかしらといふ物にして、その眞を見分ることをばえせずして、ただ贋に欺かざれざる事を、かしこげにいひなせる物也。そは何のかしこきことかあらん。一枚の眞物をよく見分てこれを信ぜむこそ、かしこきにはあらめ」
そう言えば上田氏はこういうでしょう。例え十枚のうち一枚の眞物があっても、十人の所有者は皆自分の色紙が眞物であると主張し、伝来の正しいことを各々言い立てるでしょう。どうやったら眞物を見分けられるのか教えていただきたいと尋ねるでしょう。
宣長)「是又眞偽をみつから見定むることあたはさる故の疑ひ也」
宣長)「もしよく漢意のなまさかしらを清く洗ひ去て、濁なき純一の古学の眼を開きて見る時は、神代の吾古傳説の妙趣ありて眞実の物なること、おのつから明白に分れて、かの九枚の贋物とはいさゝかもまぎるゝことなかるへし。其域に至りなば、此眞物をかの贋物共と一ツさまにいへる事も、みつから恥かしかるへき物そや」
宣長から見れば秋成の「自国の人が熱心に自国の神を信じ尊ぶのは当たり前です。言い換えれば、他国の人が他国の神を信じるのも当たり前です。天照大御神が全世界を照らす太陽であるという神話解釈はおかしいのです」という発言は、信じるものがない、真実を見分けられない人間の愚かしいあらわれで「又、なまさかしら心にて、実に信ずへき事をえしらざるひがこと也」という結論になる。
宣長)上田氏が「日本人ならば日本の神話を信じているのは当然です」と発言したのは本心からではない。日本人という立場に立てば、天照大御神が全世界を照らすのは真実であり「天地は一枚なれは此国の人のみならす、万国の人みな信ずへきこと也」というべきです。「信じているのは当然です」というのは、実は真意を隠しながらそれでも信じているって顔していなさいといわんばかりです(訳文)。
宣長の「いかてか是を直しといはむ」として日の神をめぐる論争は終わった。
両者の論争は宣長の一方的な反駁で終わる。宣長は、秋成の本心は一貫して「何をがな非を見付出して、余か立説をくじかむとする物」であり、そのような秋成は「いといとあはれむへきこと也」とした。また弟子に対しては「上田氏の論いたく道の害となる物」とした。
藤貞幹の著した『衝口発』を宣長が批判したのを発端とし、論争ののち、宣長は『珂刈葭(かがいか)』を、秋成は『安々言(やすみごと)』を著した[2]。