和銅元年(708年)従六位下から四階昇進して従五位下に叙爵。元明朝末の和銅8年(715年)従五位上に昇叙される。
元正朝の養老5年(721年)正月に佐為王・山上憶良らの文人と共に、退庁後に皇太子・首皇子(のちの聖武天皇)に仕えて教育を行うよう命じられた[1]。また同年、右衛士督として左衛士督・大伴牛養と共に、父母との離別が長期間のため衛士の逃亡が多発していることを理由に、衛士の役務年数を3年に短縮するよう奏上し、認められている[2]。神亀元年(724年)聖武天皇の即位に伴い従四位下に叙せられる。
天平4年(732年)3月22日卒去。最終官位は散位従四位下。