日中解散

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日中解散(にっちゅうかいさん)とは1972年11月13日衆議院解散の俗称。

1972年7月に発足した第1次田中角栄内閣は発足2か月後の9月に田中角栄首相と大平正芳外務大臣が訪中して周恩来首相や姫鵬飛外交部長と会談し、9月29日に 日本側は中国が提起した台湾政権を否認を前提とした「復交三原則」を十分理解する立場に立って外交関係を樹立することとした共同声明を発表して日中国交正常化をした[1]

10月27日に第70回臨時国会が開かれ、翌28日に田中首相は衆参本会議で所信表明演説が行われ、日中国交正常化の実現を報告し、国民世論の協力の支持があったとしながら自らの決断で処理したことを強調した[2]

当初、田中首相は実績を重視し、列島改造をある程度具現化して翌1973年度予算を成立させてからの解散総選挙を想定していた[3][4]。しかし、自民党内では「田中角栄人気があるうちに解散総選挙を行うべき」という意見が強く、前回衆院選から約3年が経過して残り任期約1年になっていたことから野党も解散総選挙の準備に入って防衛問題等で対決姿勢を深めていたことから補正予算の順調に審議できるか不確定要素が出てきたことから、早期解散するムードが高まった[5]。10月の第1週に田中首相は野党各党首と秋の政治スケジュールに個別会談では野党から早期解散が主張された[6]。臨時国会が開かれた10月27日の自民党両院議員総会に出席し、臨時国会に臨む基本態度を表明し、その中で衆議院解散を示唆した[7]

その後、田中首相は内閣として11月13日に衆議院を解散した[7]

その後の経緯は第33回衆議院議員総選挙を参照。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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