日岡兼三

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日岡 兼三(ひおか けんぞう、1946年2月22日[1] - 2003年8月19日)は、日本の画家、美術教育者。

1946年2月、日岡金助、五月雨子 (つゆこ)夫婦の三男[注釈 1]として、満洲吉林省新京市に生まれる。同年9月に帰国し、1952年には徳島県日和佐町(2006年より美波町)の日和佐小学校に入学したが、1954年からは父の両親が移住していた宮崎県で暮らした。1958年に宮崎市立大宮中学校入学、1961年に宮崎県立宮崎農業高等学校に入学[3]。父が病に倒れたため、高校在学中から家業を手伝った。

本格的に絵画を目指したのは20歳代後半からで、1972年、26歳の時に二宮勝憲が講師を務める青木画廊の絵画教室に通い始め、1974年からは末原晴人に師事した。

1982年、36歳の時より日岡絵画教室を主宰。公民館での絵画講座がきっかけで、40歳で妻の美穂と結婚した。2001年の正月に、空港展[注釈 2]を開催。その頃から体調を崩し、医師から肺癌を宣告されたが、延命治療を希望しなかった。2003年春には左目に転移し、視力が侵されデッサンが困難になったことから、やむなく絵画教室を閉める決断をした[2]

2003年8月19日、死去[3]。失明は免れ、亡くなる2日前まで制作を行っていた[2]

作品

脚注

参考文献

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