日本少年
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横溝正史は少年時代に愛読し、読者欄に「横溝葭秋」のペンネームで作文「宿題を怠った日」(大正5年4月号 選外佳作)を投稿した[2]。
1921年当時、『日本少年』は発行部数約20万部で、少年雑誌としては最大手であった[3]。その人気には挿絵画家の高畠華宵も大きく寄与していた。高畠と池田芙蓉の『馬賊の唄』の連載時が本誌の最盛期であった。
一方、大日本雄弁会講談社の『少年倶楽部』は1921年当時発行部数2万8千部に過ぎず、しかも、1925年に高畠華宵への稿料引き下げを申し入れて寄稿を拒否される窮地に陥った[3]。だが『少年倶楽部』は読み物で読者を増やす方針に転じ[3]、さらに漫画『のらくろ』の連載[4]、工作附録や編集部紹介記事掲載[5]、読者投稿欄の刷新[6]といった新機軸を次々に取り入れて人気雑誌に成長し、本誌はその影響で凋落した。
最終号(昭和13年10月号)の連載の末尾には「次号に続く」とあり、[要出典]急な廃刊決定をうかがわせる記述となっている。
