日本派

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日本派(にほんは)とは、明治中期から大正にかけて発行されていた新聞日本』の俳句欄で選者を務めた正岡子規と同欄への投句者を中心とした俳人グループ。

『日本』は、陸羯南を社主とする日本新聞社が1889年(明治22年)から1914年(大正3年)まで発行していた日刊新聞であり、陸羯南と交友関係にあった加藤恒忠の紹介で日本新聞社に入社した正岡子規が1893年(明治26年)から同紙の俳句欄の選者を務めるようになる[1]。この俳句欄は晩年の正岡子規の活動の中心となり、選者である正岡子規と投句者である河東碧梧桐らを中心に形成された俳人グループは「日本派」と呼ばれるようになった[2]。また、同派に対抗するように、毎日新聞を中心とする毎日派などと呼ばれる集団も生まれていく[2]

同派の主な俳人として、正岡子規、河東碧梧桐のほか、高浜虚子内藤鳴雪五百木飄亭らが挙げられる[3]。なお、正岡子規没後の1902年(明治35年)から1906年(明治39年)の間は河東碧梧桐が選者を務めるが、この間は「日本派」ではなく「碧梧桐派」として区別することもある[2]

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