日立就職差別事件

From Wikipedia, the free encyclopedia

日立就職差別事件(ひたちしゅうしょくさべつじけん)とは、1970年に発生した、日立製作所ソフトウェア工場に応募した在日韓国人二世の採用内定取り消しをめぐる事件である。1974年に、日立製作所を訴えた原告側の勝訴判決が出された。

在日朝鮮人のA[1]は、昭和45年(1970年)3月に高校を卒業後、職を転々としていた。同年8月末ごろ、横浜市戸塚区にある日立製作所ソフトウェア工場が従業員を募集していたのでこれに応募した。応募の際、Aは履歴書の氏名欄には本名ではなく常々名乗っていた日本名を記載し、本籍欄については、在日韓国人のAには本籍がないので、父母の住所のうち市までを記し、後は以下略と記していた。職歴については、応募までに2社に勤務していたが、Aは職歴があると採用に不利になると考え、職歴を記載せず、また応募当時はAは当時属していた会社の寮に住んでいたが、履歴書では寮と異なる住所を記載した。ただし、身上書には正しい住所を記載した[1]

同年8月23日の採用面接の際、現住所と職歴について、あらかじめ用意した履歴書と、試験の前に記入した身上書との内容(前述の住所と職歴)が一致しなかったため、Aは面接官Gに問い質された。GはA本人から2社の在籍歴、及び実際の住所が現会社の寮であることを聞き、その際にGは「職歴の有無が採否に影響することがない」旨を述べていた。氏名と本籍については、履歴書と身上書とで記載が一致していたため個別に問い質されることはなかった。もちろん、身上調書の末尾には「この調書に私が記載しました事項はすべて真実であり、偽り、誤り、重要な事項の記入議を申し立てません」旨が固定文字で明記されており、Aも右記載を承知で必要事項を記載し署名捺印していた[1]

Aは採用試験に合格した。ソフトウェア工場はAに対し、まず履歴書記載の住所に通知を出したが、これはソフトウェア工場に返送されたため、改めて身上書にあった住所に送ったところ、こちらはAに届いた。採用通知書は9月4日にAに届き、初出社日は同月21日であった。そこでAは同月15日付で当時勤めていた会社Bを退職した。採用通知書では、会社寮への入寮に際に、戸籍謄本等の必要書類を提出する旨命じられていた。Aは同月15日、ソフトウェア工場に電話をし、自分は在日韓国人のため戸籍謄本は取れないので提出できない旨を述べた。これに応じてソフトウェア工場はAに採用保留を告げた。そして同月17日、就業規則に基づくとして内定取り消しを行った[1]

Aは提訴。裁判では、Aは本件解雇は公序良俗に反しかつ国籍ないし社会的身分を理由として差別的取り扱いをしたものであり無効であると主張し、会社側は、Aは本籍がないため、入社に必要な戸籍謄本を取れないことをあらかじめ知っておりながら、その事実を隠して採用に応募したこと、また過去の職歴を隠していたことも合わせ、会社の臨時員就業規則にある「経歴を詐り又は詐術を用いて雇い入れられたとき」に準ずるとして内定を取り消したのであると主張した[1]

裁判

脚注

関連項目

Related Articles

Wikiwand AI