日英 (富士門流) From Wikipedia, the free encyclopedia 日英(にちえい、寛政10年(1798年) - 明治10年(1877年)7月9日)は、大石寺第51世法主。平柳姓。 寛政10年(1798年)、誕生。 文化2年(1805年)8月7日、江戸妙縁寺日脱について得度。 文化6年(1809年)9月1日、細草檀林に入檀する。 文化11年(1814年) 5月1日、細草檀林86代の化主となる。 9月13日、江戸妙縁寺住職を務める。 天保7年(1836年) 4月25日、大石寺33代学頭となる。 5月、48世日量より法の付嘱を受け、大石寺第51世日英として登座。 6月20日、大坊に入る。 天保13年(1842年)3月20日、蛇窪法難のため日元の本尊に加筆して信行講中に授与す。 嘉永6年(1853年)6月20日、第52世日霑に法を付嘱し富士見庵に移る。 文久元年(1861年)10月19日、八戸藩主南部信順の帰依により、八戸玄中寺を創す。 文久2年(1862年)6月15日、島津斉彬娘篤姫の帰依により大石寺塔中遠信坊再々興を図り、本尊を書写す[1]。 慶応元年(1865年) 5月7日、日英再往。 5月15日、大坊を辞し、日霑再往。 明治10年(1877年)7月9日、80歳で死去した。 脚注 ↑ 現在、遠信坊に安置されているのは66世日達が1963年(昭和38年)に書写した本尊である 先代日誠 大石寺住職一覧 次代日霑 Related Articles