旧前川邸
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 旧前川邸 | |
|---|---|
| 所在地 | 京都府京都市中京区壬生賀陽御所町49 |
| 位置 | 北緯35度0分8秒 東経135度44分40秒 / 北緯35.00222度 東経135.74444度 |
| 類型 | 屋敷 |
| 所在施設・区域 | 新選組・壬生屯所旧跡 |
旧前川邸(きゅうまえかわてい)[1]は、1863年(文久3年)から、2年ほどの間、壬生浪士と称されていた当時の浪士組、後の新選組の隊士たちが寄宿した屯所のひとつとして使われていたことで知られる、京都市中京区壬生賀陽御所町49 に現存する建物[2]。当時は、前川荘司の屋敷であった[3]。当時の前川邸は、敷地面積約443坪、部屋は12間あり、八木邸よりも広かった[1]。
旧前川邸は、現在も、個人所有の住宅であり、建物の内部などは一般公開されていないが、土日祝日には、関連する商品の販売がおこなわれることもある[2][4]。
当時、浪士組の隊士たちは、近傍の八木邸や新徳寺、また現存していない南部邸などに分かれて寄宿していた[2][3]。
1863年(文久3年)9月、芹沢鴨の暗殺が八木邸で決行された際には、土方歳三らが前川邸の土蔵2階から八木邸の様子を伺い、機を見て討ち入ったといわれている[1]。
1864年(元治元年)の池田屋事件の発端となった、攘夷派志士の古高俊太郎への拷問は、前川邸の土蔵に設けられた拷問部屋でおこなわれたとされる[1][5]。
また、1865年(元治2年)に山南敬助が切腹した場所としても知られており、2007年からは「山南忌」という山南を弔う行事がおこなわれている[4]。