旧在米韓国公使館

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所在地 15 Logan Circle NW(1500 13th Street NW)Washington, D.C., U.S.
座標 北緯38度54分37.3秒 西経77度1分47.4秒 / 北緯38.910361度 西経77.029833度 / 38.910361; -77.029833座標: 北緯38度54分37.3秒 西経77度1分47.4秒 / 北緯38.910361度 西経77.029833度 / 38.910361; -77.029833
完成 1877年
旧在米韓国公使館
概要
建築様式 ヴィクトリアン様式
所在地 15 Logan Circle NW(1500 13th Street NW)Washington, D.C., U.S.
座標 北緯38度54分37.3秒 西経77度1分47.4秒 / 北緯38.910361度 西経77.029833度 / 38.910361; -77.029833座標: 北緯38度54分37.3秒 西経77度1分47.4秒 / 北緯38.910361度 西経77.029833度 / 38.910361; -77.029833
完成 1877年
設計・建設
建築家 トーマス・M・プラウマン
文化財指定
登録日2024年9月9日
登録コード100010773
登録日1972年6月30日
所属ローガン・サークル英語版
登録コード72001426
登録日1994年11月9日
所属グレーター・フォーティーンスストリート歴史地区英語版
登録コード94000992
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旧在米韓国公使館(きゅうざいべいかんこくこうしかん、英語: Old Korean Legation Museum朝鮮語: 주미대한제국공사관)とは、アメリカ合衆国コロンビア特別区ローガン・サークル英語版にある歴史的住宅博物館である。この建物は1877年に当時の政治家・軍人セス・レディヤード・フェルプス英語版の邸宅として建造された。その後、1889年から1905年まで朝鮮王朝および大韓帝国在外公館として利用された。1910年に大日本帝国による韓国併合によって主権を喪失すると、10ドル[注釈 1]で売却された。以降、アフリカ系アメリカ人レクリエーションセンター労働組合会館、個人邸宅などに流用されたが、2012年に大韓民国国家遺産庁が所有権を取得すると、改修作業を経て2018年に図書館、宴会場、庭園などを備えた博物館として開館した。ヴィクトリアン様式で建設されたこの建築物は、ローガン・サークルおよびグレーター・フォーティーンスストリート歴史地区英語版貢献的資産英語版に指定されているほか、2024年にはアメリカ合衆国国家歴史登録財およびコロンビア特別区歴史遺産目録英語版に登録された。

最初の所有者

1877年12月16日、アメリカ海軍士官であり後に外交官としても活動したセス・レディヤード・フェルプス英語版は、ワシントンD.C.のローガン・サークル地区にあるアイオワ・サークルに面した敷地に邸宅を建設する許可を取得した[1][2]。6,300平方フィートの地に5,500ドル[注釈 2]のレンガ造りの家屋を建設するために、設計担当として建築家のトーマス・M・プラウマンが選定され、施工担当としてジョセフ・ウィリアムズが選定された[4]。この邸宅は錫製の屋根、装飾的な手すり、鋳金製のポーチなどがあしらわれ、地下室や張り出しのベイを備え、外装にはオハイオ産砂岩が使用されるなど、当時としては豪華な仕様であった[1][5][6]

自身の邸宅として1877年に建設したフェルプス英語版

フェルプスは米墨戦争南北戦争に海軍として従事した軍人であり、後にペルー大使英語版などを務めた政治家であったが、不動産開発を手掛ける実業家としての側面も持っていた[4]。この邸宅は開発途上にあったアイオワ・サークルで最初に手掛けた建造物であり、彼は自宅以外にもQストリート1202番地、バーモント・アベニュー1500〜1504番地、13番街1502番地の住宅などの建築にも関与した[7][8][9]。1885年にフェルプスが逝去した後、妻であるリジーは数年間その邸宅で過ごしていた[4][注釈 3]

韓国公使館

朝鮮王朝の政治家である朴定陽は、グロバー・クリーブランド大統領との政治的接触の結果、1888年に初代の駐米朝鮮公使となった[10][11]。朝鮮王朝の最初の公使館は、ワシントンD.C.の1513 Oストリート北西に開設された[12][13][14]。当時のは朝鮮王朝に対して強い影響力を持っており、外交政策に関しても厳しい制限を課していた。アメリカはこの方策に強く反発し、西洋において初となる朝鮮公使館の開設を認可した。公使館開設後も、清は朝鮮王朝の外交業務に対して干渉を行ってきたが、不当な要求は無視された[15][16]

朝鮮公使館は1889年2月にこの邸宅へと移設し、1891年にフェルプスの義理の息子であるセヴェロン・A・ブラウンから25,000ドルで所有権を購入した[注釈 4]。朝鮮王朝の高宗は、当時としては高額な資金を投じることで、アメリカとのさらなる外交関係の伸展に努めた[17]

朝鮮王朝は1897年に大韓帝国へと国号改称が行われたが、その後、1905年の第二次日韓協約によって大日本帝国の保護国となった。これにより大韓帝国は主権を喪失し、この公使館も事実上の役割を終えた。1906年1月、公使の金潤晶がアメリカ合衆国国務省職員に別れの挨拶を行ったことで、この状況は正式なものとなった[18]。以降、国務長官のエリフ・ルートは、朝鮮に関する外交業務を、大日本帝国の公使館を通じて行うようになり、朝鮮公使館の資産と記録は大日本帝国へと引き渡された[10][19][20]

1910年に「韓国併合ニ関スル条約」が公布され、韓国併合が行われると、この建築物は日本政府によって購入という形で法的な資産の移譲が行われた[10][21]。不動産売買契約書には「日本公使館は、朝鮮皇帝に5ドルを支払い、皇帝は無条件で当該不動産の所有権を譲渡する」と記載されていた[注釈 5][22]。その後まもなく、この物件は10ドルでアメリカ人へ転売された[注釈 6][10][21]

韓国による再購入

その後数十年に渡って、この建物は個人邸宅として用いられたほか、1940年代にはアフリカ系アメリカ人たちのレクリエーションセンターとなり、その後全米トラック運転手組合英語版の集会所として使用された[5][23]第二次世界大戦が集結し韓国が再び主権を取り戻すと、在米韓国人や韓国政府はこの建物の再取得を望むようになった[23]。周囲の治安が悪化していた1977年には、ティモシー・ジェンキンスとロレッタ・ジェンキンスという夫妻が、この建物を購入した[5]

ジェンキンス夫妻によれば、この家には購入を希望する韓国人が頻繁に訪れていたという。夫妻はこの建物の歴史的経緯は認識していたものの、当初は売却する意思を持っていなかった。考えが変化したきっかけは、1980年代のある日、元韓国陸軍の将官であり、初代公使の孫であると名乗る韓国人男性が訪ねてきた事だった。ロレッタは「彼は非常に敬意を払う様子で家の中を見て回り、その様子が私たちの心に強く残った」と回顧している[5][21]

しかしながら転売や、建物を取り壊してマンションを建てるのではないかといった不安が拭えず、売却する決断にまでは至らなかった[21][24]。2000年代半ばには韓国系アメリカ人の団体が物件購入のための運動を行ったが、集まった資金は8万ドルにとどまった[6]。ジャーナリストの朴普均が、2005年の自著『呼吸する米国の歴史』の中でエピソードを紹介したことが契機となり、韓国国内でもこの建物の存在と経緯が広く知られるようになった[25]

2008年には韓国大使館英語版の関係者が購入交渉を開始した。大使館関係者チェ・ビョングによれば、当初、夫妻はこの物件に対して600万ドルでの売却を希望していたという。翌年、韓国政府は購入のために30億ウォン(約260万ドル)を割り当てた。2012年には韓国の国家遺産庁がこの取り組みを主導し、ジェンキンス夫妻を駐米韓国大使崔英鎮の夕食会に招待した。この夕食会を経てジェンキンス夫妻と韓国政府はこの物件の売買について合意に至った。当時の評価額は165万ドルであったが、最終的な売却価格は350万ドルであった[5][26]

博物館

建物を取得した韓国政府は、文化施設として活用する方針を発表した。国家遺産庁の関係者は「この建物は、両国間の文化遺産についてアメリカの人々に理解を促し、また韓国人に歴史的な教訓を伝える拠点として活用される予定である」と述べている[21]。2013年には建物の調査や文化施設の設計が始まり、「旧在米韓国公使館」として公使館の歴史を説明する案内板が設置され、ローガン・サークルの歴史散策コースに組み込まれた[10]。除幕式には駐米韓国大使の安豪栄を含む政府関係者が出席した[27]

2015年から2018年にかけて大規模な改修工事が実施され、19世紀末の外観が再現された。この改修工事によって、外装には当時のヴィクトリアン様式の意匠が組み込まれ、内装は韓国の装飾要素を組み合わせたものが採用された。部屋には1889年から1905年当時の名称が付けられ、アンティーク家具が配置され、壁紙やカーペットも当時の様式を反映するよう選定された[10][16][28]。建物に隣接する駐車場は庭園へと整備され、花の壁や花崗岩製の門が設置された。内部には図書室、写真展示室、公使の寝室、執務室、宴会スペースなどが配置された[10][28]

2018年5月22日に太極旗が掲揚され、博物館としての旧在米韓国公使館が開館した[16]。正式な開館式は文在寅大統領のワシントン訪問に合わせて数日後に実施された[28]

旧在米韓国公使館は、2024年7月25日にコロンビア特別区歴史遺産目録英語版に登録され、同年9月9日にアメリカ合衆国国家歴史登録財に登録された[29][30]。また、ローガン・サークルおよびグレーター・フォーティーンスストリート歴史地区英語版貢献的資産英語版にも指定されている[1][31]

脚注

参考文献

関連項目

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