旧矢中家住宅
From Wikipedia, the free encyclopedia
施主の矢中龍次郎(やなか りゅうじろう)は、日本の実業家、建材研究家、発明家である。満州で大豆を原料としてセメント防水剤「マノール」を発明、1921年(大正10年)東京に事業を移し、東京府荏原郡荏原町大字蛇窪に油脂化工社(現:株式会社マノール)を設立。事業の成功ののち、生家の北側土地に、現存する住宅2棟を建てたものである。
本館・別館の2棟からなり、本館は昭和18年上棟、別館は2階建てで、昭和16年ごろに1階部分を、昭和24年に2階部分を建てている。[1] 矢中氏のインタビュー記事で「…此家は1938年着工、1953年迄15年かかって完成したのであります。…」[2]と述べている。
棟梁は保科菊次(ほしな きくじ)、設計は施主である矢中本人が自ら行った。[3]
この住宅は、地元出身の実業家が故郷に錦を飾るため、また、自身の研究の実験住宅として建築され、日本の木造住宅のあり方をモデル化したさまざまな工夫が特徴的な貴重な存在である。
敷地
建造物
本館
本館は居住の用になる建造物で、棟札から1942年(昭和17年)に上棟された。 建築面積は197.53㎡で、木造平屋建て。
屋根は木造でありながら陸屋根を擁している。これは矢中考案の「矢中式陸屋根」を施工しているためである。 矢中自身が発明したセメント防水剤「マノール」を使用しているほか、採掘鍛錬した着色剤「山富貴酸化黄」を外壁漆喰、及びモルタル部分に用いている。
大谷石の高基礎を用いた一部を穀物蔵としている。
別館
別館は迎賓のための専用空間で、1階は鉄筋コンクリート造の擁壁を躯体の一部とし、大谷石積みの外壁を組み合わせている。1階は観音開きの窓や桜の一枚板を用いるキャビネット、南部春邦による動植物の杉戸絵、北川金鱗による小壁の水墨画などで飾られた上質な接客空間である。
別館南側の階段は総けやき造で、漆塗り仕上げで、2階へと繋がる。 2階は木造で、あり壁長押を回す格調の高いつくりで、和洋の応接室を配している。