早川忠篤
From Wikipedia, the free encyclopedia
倉吉市長としての施策
市制直前に旧町役場が焼失していたことから、市庁舎整備は新市政の最優先課題となった。早川は「50年、100年先を見据えた近代建築を」との理念を掲げ、東京大学教授の建築家・岸田日出刀に設計を依頼。実施設計は岸田の弟子である丹下健三が担当した[5]。
1956年11月に完成した倉吉市庁舎は、ピロティ・中庭・吹き抜け構成を備えたモダニズム建築であり、日本建築学会賞を受賞した[6]。落成式には5日間で約3万人が来場し、「山陰一の偉容」と報じられた[7]。ワルター・グロピウスが「歴史に残る名建築」と称賛し、丹下も「大きな転機だった」と自著で振り返っている[5]。
建設の様子を記録した8ミリ映像(白黒・一部カラー、無音)が現存し、型枠清掃や手押し車による作業、鉄筋加工などが収録されている。早川・岸田・丹下が並んで視察する姿も映っており、戦後日本建築史において貴重な映像資料とされる[5]。
また、倉吉北高等学校の創設、私立幼稚園(くらよし幼稚園)の経営、社会福祉会館の整備、消防体制の近代化など、幅広い分野で地域社会に貢献した[3]。