旭輝子
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東京府(後の東京都台東区浅草)出身[1]。1938年(昭和13年)、実践女学校(現・実践女子学園中学校)を中退し、松竹少女歌劇学校に入る。
翌年、松竹少女歌劇団に入団し、娘役として活躍[1]。1944年(昭和19年)に準幹部に昇進。1947年(昭和22年)に退団。
三木鶏郎グループやエノケン劇団などで活動した後、フリーランスとなり[1]、映画やドラマ、舞台にと幅広く活躍した。
1949年(昭和24年)3月、離婚訴訟中で二人の娘[2]がいた神田正次と結婚[3]して、二人の名前から一字ずつとって命名された[4]正輝を儲ける。
しかし、夫が旭の実印を使い、自宅に差し押さえの紙がくるほどの借金を作ったことを機に別れた[5]。
2001年(平成13年)12月31日午後10時、心不全のため、東京都新宿区の病院で死去(享年77)[6]。
旭の死去に際し、浅草公会堂の「スターの広場」前には旭を偲び花束が置かれた[7]。
弟にあたる日劇ダンシングチームの研究生で[8]、後にダンシングチームの一員となる杉嘉純(よしずみ)(1955年4月、「春のおどり」でデビュー)とは、かつて母・夫・正輝、そして女中二人とともに同居していたが[9]、2021年(令和3年)現在は正輝と連絡が取れないという[10]