明教新誌
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1875年(明治8年)8月に大内青巒らによって創刊された[1]。前身は1874年(明治7年)に創刊されたと考えられている大教院の機関誌『官准教会新聞』[2][3]。『教会新聞』は1875年4月30日に休刊したが、同年7月12日、135号から明教社が発行することとなり再開した[3]。引き継いでからひと月ほどの間は『教会新聞』の誌名をそのまま使用していたが、148号から『明教新誌』に改題した[3]。初代の「編集印刷総長」は大内青巒が務めた[3]。最初期の第3号までを除き、五日ごとに発刊された[4]。
『明教新誌』となった後は、『教会新聞』時代よりも発行部数は大幅に増加したとされ[5]、1875年ごろには数百部であったものが、1888年(明治21年)には1号あたり約二千部が配布されるようになった[6]。その後、1901年(明治34年)2月28日の4603号にて終刊が宣言され、『日出国新聞』と合併した[5][3]。