鈴木多満子が1896年に前橋市馬場川通りに「上毛裁縫伝習所」を設立した。従来の裁縫教育にある師匠と縫子の関係を見直し、一斉指導として女子教育に先鞭をつけた。生徒数の増加により1904年(明治37年)に同市田中町(現・表町)に移転し、校名を「明治裁縫学校」とする。当時の校長は鈴木多満子で校主は多満子の夫・鈴木宗十郎だった。
女子教育の神髄は「人として道をわきまえる事」であるとし、「誠実 礼節 勤労」に上に専門技術の習得を重点とした。茶道は裏千家、華道は古流、作法は小笠原流を採用。最盛期には本科、別科、研究科、師範科をおき卒業生は1万人を数えた。
太平洋戦争で校舎は徴用され休校。校舎は前橋空襲で全焼した。
戦後の1946年(昭和21年)年1月に「明治裁縫塾」として再開。1955年(昭和30年)、多満子の高齢により閉校となった。