鈴木たま From Wikipedia, the free encyclopedia 鈴木たま 鈴木 たま(すずき たま、明治3年〈1870年〉 - 1958年〈昭和33年〉12月3日)は、日本の教育者。群馬県における女子教育の先駆者のひとり。明治裁縫学校創設者。名は多満子とも。 明治3年(1870年)、前橋に生まれる[1][2][3]。 前橋藩士の家柄で、祖父は祐筆を勤めた[1]。父・鈴木福次郎は西南戦争に抜刀隊として従軍して田原坂の戦いで戦功を挙げ、その後は東群馬・南勢多合同郡役所に勤務した[1][2]。母の名はトワ[1]。 13歳のときに父をチフスで亡くし、さらに母や弟も病死[1][2]。15歳から前橋の仕立屋で修業ののち、川越に移り裁縫の技術を修練した[1][2]。また前橋に仙台の松操女学校(現・仙台大学附属明成高等学校)分校ができたため同校で学ぶ[1][2]。23歳のときに文部省の裁縫科教員の試験に合格し免許状を得た[1][2][3]。 1892年(明治25年)に松山出身の実業家・宗十郎(旧姓・土田)と結婚。1896年(明治29年)に前橋市本町に上毛裁縫伝習所を開設し[1][2][3]、宗十郎が校主、たまが校長となった。1904年(明治37年)に現在の表町に校舎を新築し明治裁縫女学校と改称[1][2]。当時、前橋には公立の女学校はなく、女子教育の先鞭をつけた[1]。 明治裁縫学校は最盛期には本科、別科、研究科、師範科を備えてのべ5千人の卒業生を送り出した。 1931年(昭和6年)に夫・宗十郎と死別[1][2]。 1945年(昭和20年)の前橋空襲で、徴用されていた学校校舎は焼失したものの、翌1946年(昭和21年)には明治裁縫塾を再興した[1][2][3]。 1955年(昭和30年)11月、女子教育への功労により、群馬県人女性として初となる藍綬褒賞を受章した[1][2][3]。 1958年(昭和33年)12月死去[1][2]。87歳。 出典 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 大学婦人協会群馬支部 編『近代群馬の女性たち』みやま文庫、1971年4月20日、162-169頁。doi:10.11501/12215283。 (要登録) 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 群馬県教育史研究編さん委員会 編『群馬県教育史』 別巻 人物編、群馬県教育委員会、1981年3月30日、474-475頁。doi:10.11501/12114277。 (要登録) 1 2 3 4 5 『群馬県人名大事典』上毛新聞社、1982年11月1日、279頁。doi:10.11501/12189010。 (要登録) Related Articles