易 (占い)
古代中国の占術
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基本概念と筮具

易の最小単位は、陰爻(⚋)と陽爻(⚊)の2種類からなる爻である。易においては、陰爻と陽爻を3本組み合わせて八卦をつくり、さらにそれを2つ組み合わせて六十四卦をつくる[1]。易において八卦は万物を象徴し、また六十四卦は万物の変化を象徴するものとして解釈される[2]。各爻は、爻の番号を示す「初、二、三、四、五、上」および陰爻を示す六、陽爻を示す九により示される[3]。
筮具
易占においては、50本の蓍(棒)を用いて卦を導く。古くは植物の蓍の茎が用いられたが、その後はもっぱら筮竹を用いる[4]。1本の長さはおおむね9寸 (27 cm)であるが、『説文解字』には「天子は蓍九尺、諸侯は七尺、大夫は五尺、士は三尺」とあり、現代よりも長いものが使われていたようである[5]。
また、易筮によって得た爻を記録するために、算木も用いる。これは長さ 9 cm、幅 1.2 cm程度の角材6本で、2面に陰爻をあらわすための切込みを入れている。これは後世に卦を記録するための道具としてつくられたもので、『儀礼』には「筮を卒ふれば乃ち卦を木に書く」とある。また、後漢の鄭玄はこれに注して「一爻ごとに地に画して以て之を識し、六爻備はりて板に書す」としている[5]。また、唐の賈公彦によれば、唐代には硬貨を用いて卦が記録されていた[6]。南宋の朱熹によれば、爻の記録には黄色の漆の板を用いる[7]。
儀礼
詳細な儀法についてはともあれ、易は厳粛な儀礼とともにおこなわれるのが普通である。朱熹が『筮儀』にまとめるところによれば、清浄な場所を選んで戸口を南とする蓍の部屋を設け、その中央に机を置き、南向きに座席を置く。蓍は赤い絹布に包んで袋に入れ、つつにおさめて机上の北側に立てておく。その手前に蓍を立てかける格、香炉と香合を置く。易占を行うにあたっては衣冠をつけ、香を焚いて蓍を煙にかざし、占いの言葉を述べたのちに易の操作をはじめる[7]。
手法
本筮法
易占の具体的手法については、『易経』繫辞伝の記述が文献上知りうる最古のものである[8]。しかし、その記述は以下の通り、短く曖昧なものであるため、後世の解釈には揺れがある[9]。繫辞伝にもとづく手法をそうでない手法と特に区別する場合、本筮法と称する[10]。
大衍之數五十、其用四十有九。分而為二以象兩、掛一以象三。揲之以四以象四時、歸奇于扐以象閏。五歲再閏、故再扐而後掛。乾之策二百一十有六、坤之策百四十有四、凡三百有六十、當期之日。二篇之策、萬有一千五百二十、當萬物之數也。是故四營而成易、十有八變而成卦、八卦而小成。引而伸之、觸類而長之、天下之能事畢矣。 |
大衍の數は50であるが、占筮に用いるのはその49である。筮法は二分して両(天地の両義)にかたどり、一を掛けて三(天地人三才)にかたどり、四ずつ揲して四時にかたどり、奇を扐に帰して閏月にかたどる。再扐してから掛けるのは、五歳再閏のためである。乾の策数は216、坤の策数は144であり、あわせて360、期(1年)の日数にあたる。二篇の策は11520であり、万物の数にあたっている。それゆえ、四営して爻を決め、十八変して卦をさだめる。かくして八卦ができあがるが、それは小成にすぎない。天下の能事を完成するには、八卦を引き伸ばし、類に触れてそれを長じなければならない。 |
- 50本の蓍から1本を取り除く
- 49本の蓍を両手に分け、1本を抜き出して小指の指間にかける
- それぞれの手に握った蓍を4本ずつ、残るものが4以内になるまで数え、余った蓍を薬指の指間にかける(一変、余らない場合は4本を残す)
- 残りの蓍を用いて2. から 3. の操作を再び繰り返し、余った蓍を中指の指間にかける(二変)
- 残りの蓍を用いて2. から 3. の操作を再び繰り返し、余った蓍を人差し指の指間にかける(三変)
この筮法は『易経』原文の解釈に若干の揺れがあるとはいえ、漢代以来多くの易学者が共有するものである[6]。詳細な作法には若干の揺れがあり、たとえば唐の孔頴達は2. で左手にとった蓍から、南宋の朱熹は右手にとった蓍から1本を抜く[11]。三変を終えた時点で残った蓍ないし余った蓍の本数により、一爻が決定する[4]。上記の手順を採用する場合、一変で除く蓍は5ないし9本、二変・三変で除く蓍はそれぞれ8ないし4本となる[12]。指に挟んだ蓍を除いた本数[4]、あるいは指に挟んだ蓍の本数を用いて、爻の老陽・老陰・少陽・少陰を定めることができる。この操作を6回繰り返すことにより卦が定まる[12]。
なお、孔頴達・朱熹などの採る手法では三変すべてで1本を抜き出すが、南宋の郭雍など、一変のみでこの操作をする手法もあり、この場合爻の定め方も若干変化する[13]。また、秦九韶のようにこれとは全く異なる手法を提唱した学者もおり、この手法では49本の蓍を二分したのち左手にとったものの本数を各1、2、3、4ずつ数えて余りを得て、それぞれに固有の定数を掛けたのち12で数えて得た余りを3で割り、その結果から爻を定める[14]。
その他の手法
| 残数 | 八卦 | 四象 |
|---|---|---|
| 1 | ☰(乾) | 少陽 |
| 2 | ☱(兌) | 少陰 |
| 3 | ☲(離) | 少陰 |
| 4 | ☳(震) | 少陽 |
| 5 | ☴(巽) | 少陽 |
| 6 | ☵(坎) | 少陰 |
| 7 | ☶(艮) | 少陽 |
| 8 | ☷(坤) | 老陰 |
日本においては、近世以来、本筮法を省略した略筮法・中筮法も行われている。略筮法は日本でもっとも普及している手法のひとつであり、梗概は以下のとおりである[10]。この手法は平沢随貞、新井白蛾などが用い、のちに高島呑象が採用したことにより広く普及した[16]。
- 50本の蓍から1本を取り除く
- 49本の蓍を両手に分け、右手に握るものから1本を抜き出して小指の指間にかける
- 左手に持った蓍から8の倍数本を引く
- 2. で指間にかけた1本を足し、この本数から1から8に割り当てられた八卦を求める
- 2. から 4. までの操作をもう1度繰り返し、八卦2つをあわせて六十四卦をつくる
- 2. を繰り返したのち左手に持った蓍から6の倍数本を引く
- 5. で得た六十四卦を下から数え、6. の操作で残った本数に1を足したものと同じ数字番目を変爻とする
中筮法も江戸期より日本国内で実践される手法であり、その梗概は以下のとおりである[17]。
- 50本の蓍から1本を取り除く
- 49本の蓍を両手に分け、右手に握るものから1本を抜き出して小指の指間にかける
- 左手に持った蓍から8の倍数本を引く
- 2. で指間にかけた1本を足し、この本数から1から8に割り当てられた八卦を求める
- 4.で得た八卦を四象に変換し、それを一爻と定める
- 2. から 5. の操作を6回繰り返し、六十四卦をつくる
また、蓍を用いない易の手法も存在する。硬貨を投げて易を定める手法を擲銭法という。賈公彦の『儀礼正義』によれば、3枚の硬貨を投げ、2枚表で1枚裏のとき少陽、2枚裏で1枚表のとき少陰、3枚とも裏のとき老陽、3枚とも表のとき老陰と定める[18]。さらに簡便な方法として、単に硬貨を6回投げて裏表で爻の陰陽を定め、さいころを振って変爻を決めるというものもある[10]。また、平沢随貞は算木6本を3本ずつ手中でもみ、出た卦を並べて六十四卦をつくる「按卦の伝」を発案した[19]。
解釈と占断
易においては、上記の手順を経て定めた本卦から、老陽・老陰の爻を反転させた変卦(之卦)をつくり、これをもとに卦辞(卦全体についての判断の文句[18])およびそれぞれの爻辞(爻についての状況判断の文句[18])を読んで結果の解釈を行う[20]。これは易者の裁量によるところが大きく、易者は適切な連想や敷衍などによりそのときの実態に合わせた、ときには思い切った解釈をすることにより、占いを受ける者を納得させようとする[21]。
卦辞・爻辞にもとづく解釈
孔頴達の『左伝正義』によれば、変爻が複数現れる場合には卦辞のみを読む。また、朱熹は『易学啓蒙』にてより詳細な規則を定めており、いわく2爻が変ずるときは本卦から変爻の爻辞2つを見て、上の爻辞を重視する。3爻が変ずるときは本卦・之卦両者の卦辞を見る。4爻が変ずる時は之卦の不変爻の爻辞2つを見て、下の爻辞を主とする。5爻が変ずるときは、之卦の不変爻の爻辞を見る。6爻とも変ずるときは、その卦が乾(䷀)ないし坤(䷁)である場合はその用九・用六の爻辞を[注釈 1]、それ以外の場合は本卦の卦辞を読む[20]。
爻位にもとづく解釈
『易経』彖伝・象伝によれば、卦爻の奇数番目は陽爻(剛)、偶数番目は陰爻(柔)であることが好ましく、特に中位の正、すなわち上卦・下卦の中央の爻が六二・九五となっているものが尊重される[22]。
また、これらの伝には「承」「乗」「応」「比」という述語があらわれる。承は陽爻の下に陰爻があることで好ましく、その逆である乗はよくないとされる[23]。また、彖伝にみえる「応」の解釈にもとづき、初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と上爻が応じ合うとされ、応がある(それぞれが陰爻と陽爻である)ことが好ましいとされる[24]。また、隣り合う2つの爻が陰陽の関係にあることを比といい、これも好ましいとされる[25]。その他、漢易においては不正な爻を正位になおし、卦を解釈し直すことがあるほか[26]、爻を移動交換させることがある[27]。
卦象にもとづく解釈
『易経』説卦伝によれば、八卦は特定の事物・性質に配当されている[28]。易の解釈にはこれらの事物からの連想も用いられる。説卦伝にあらわれる卦象は以下のとおりであるが、この他にも卦辞・爻辞の記述をもととして卦象とされたものも多くある。たとえば後漢の馬融は「兌為虎」としているほか、虞翻にいたっては456の新たな卦象を案出している[29]。
易学との関係
中国においては易のほかにも風角(風の音律による占い)、鳥鳴(鳥の声による占い)、星算(星占い)などさまざまな雑占があり、漢代においては知識人もこれを易とともに併用した。天人相関説が盛んであった漢代には経学と占術は融合的なものであったが、後漢末期から魏晋代には両者は分離し、王弼のように同書の呪術的性質を積極的に無視する論者も現れた。その後、中国の知識人は楽しむ対象であるところの「芸」として易占を受容した[30]。朱熹は易の占術書としての性質を重んじたが、「而して見る所はなはだ卑しき者は、又これに泥んで通ぜず。故に易は読み難き書なりと曰う」と、見識のない者が易に拘泥することも批判している[31]。
金谷治はその後の中国の知識人が雑占を迷信と切り捨てつつも占術としての易を重んじた理由として、儒教の権威のほか、この占法がもつ数理的性質が「その本質としての神秘的呪術性を忘れさせ、あたかも合理的体系にもとづくものであるかのような錯覚を起こさせる」こともあるのではないかと論じている[32]。
大衆文化における易占
フィリップ・K・ディックの小説『高い城の男』では、登場人物が易占を行う場面が出てくる。なお著者ディックはインタビューで、作品執筆中に一度だけ実際に易占を行い登場人物の行動を決めたと語っている[33]。
