晩田山31号墳
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所属
晩田山古墳群
位置
北緯35度27分32.82秒 東経133度26分51.70秒 / 北緯35.4591167度 東経133.4476944度座標: 北緯35度27分32.82秒 東経133度26分51.70秒 / 北緯35.4591167度 東経133.4476944度
形状
方墳
| 晩田山31号墳 | |
|---|---|
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墳丘(手前は県道329号) | |
| 所属 | 晩田山古墳群 |
| 所在地 | 鳥取県米子市淀江町福岡(字二重土俵)[1] |
| 位置 | 北緯35度27分32.82秒 東経133度26分51.70秒 / 北緯35.4591167度 東経133.4476944度座標: 北緯35度27分32.82秒 東経133度26分51.70秒 / 北緯35.4591167度 東経133.4476944度 |
| 形状 | 方墳 |
| 規模 | 一辺18m(22m) |
| 埋葬施設 | 石棺式石室 |
| 出土品 | 耳環・鉄鏃・鉸具・須恵器 |
| 築造時期 | 7世紀前半 |
| 史跡 | 国の史跡「妻木晩田遺跡」に包含 |
| 地図 | |
晩田山31号墳(ばんだやまさんじゅういちごうふん)は、鳥取県米子市淀江町福岡にある古墳。形状は方墳。晩田山古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「妻木晩田遺跡」のうち)。
鳥取県西部、淀江平野東部の晩田山の南斜面上(標高約50メートル)に築造された古墳である[2]。墳丘・石室とも大きく破壊されているほか、1978年(昭和53年)に発掘調査が実施されている。
墳形は方形で、一辺18メートル[1](または一辺約22メートル・高さ約6メートル[2])を測り、墳丘裾部には外護列石が巡らされる[1]。埋葬施設は石棺式石室で、南南東方向に開口する。玄室前壁の刳抜玄門の一部が残存しており、閉塞石には舟形のレリーフが施される[1]。副葬品としては、石室の羨道部から耳環・鉄鏃・鉸具・須恵器が出土している[1]。
築造時期は、古墳時代終末期の7世紀前半頃と推定される[1]。石棺式石室は出雲地方東部を中心に分布する石室構造であり、その影響を受けて淀江平野で築造された古墳として注目される[2]。
遺跡歴
埋葬施設

石室
羨道から玄室方向、中央に刳抜玄門残存部。埋葬施設としては石棺式石室が構築され、南南東方向に開口する。石室の規模として、玄室は幅推定約2.4メートル、羨道は幅約1.9メートルを測る[2]。
石室の石材は、大山起源の角閃石安山岩。玄室は各壁が一枚石で構成されたとみられるが、現在は大半が失われている。玄室前壁は床石上にのり、中央下部を長方形に刳り抜いており(刳抜玄門)、現在はその下半が残存する。残存する閉塞石には、舟形陽刻が施される。
石室内では、羨道から金環1・鉄鏃1・鉸具1・須恵器(坏蓋19・坏身18・高坏4・甕1・提瓶1・平瓶4)が出土している[2]。
- 墳丘・石室開口部
- 閉塞石
上淀白鳳の丘展示館展示。 - 出土品
上淀白鳳の丘展示館展示。
関連施設
- 上淀白鳳の丘展示館(米子市淀江町福岡) - 晩田山31号墳の出土品を展示。