景範

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景 範(けい はん、904年 - 955年)は、五代十国時代官僚政治家本貫淄州長山県[1]

戸部郎中の景初の子として生まれた[1]後周広順2年(952年)、左司郎中・枢密直学士に任じられた[2]。広順3年(953年)、左諫議大夫に転じた[3]顕徳元年(954年)、世宗柴栄北漢に対して親征すると、景範は東都副留守を命じられた。世宗が太原府から帰還すると、景範は中書侍郎・同中書門下平章事・判三司事(宰相)となった。重厚剛直な性格だったが、国政の事務を処理する才能はなかった。顕徳2年(955年)8月、父が死去したため、景範は宰相を退任して東帰した。11月[注釈 1]、郷里で病没した。享年は52。侍中の位を追贈された[4]

脚注

伝記資料

参考文献

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