曲直瀬玄由 From Wikipedia, the free encyclopedia 曲直瀬 玄由(まなせ げんゆう、? - 寛永21年4月3日(1644年5月9日))は、安土桃山時代・江戸時代の医師。曲直瀬道三の高弟。寿徳院(庵)と号する。 妻は同門の曲直瀬正純(亨徳院)の寡婦で、道三の孫娘(玄朔の妻の末妹)。著作に『難経捷径』などがある。 連歌を好み、京の文人とも多く親交があった。元和5年(1619年)には幕府の命で、島津義弘の診療のため鹿児島へ下向している。 後水尾上皇の信頼が厚く、寛永17年(1640年)の鳳林承章の病では上皇の指名で丸薬を処方し快癒させた。寛永21年(1644年)に死去し、江戸小石川龍雲院に葬られた。 名古屋玄医は玄由の孫弟子に当たる。 参考論文 西村義明「寿徳院玄由の閲歴について」(『日本医史学雑誌』第四十六巻第2号、2000年) この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。表示編集 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks