更新会

From Wikipedia, the free encyclopedia

更新会(こうしんかい)は、大正時代後期に山口県阿武郡を拠点に活動していた学校教員による自主的研究団体であり、大正自由教育運動の一端を担った教育実践グループである[1]

阿武郡はその大半が中山間地域にあたり、気候風土も厳しいことから、大正時代には文化的に立ち遅れた地域とされており、教員の配置においても重要視されていないと思われていた[2][3]。そうした中で、当時、教育の分野で大いに注目を集めていた大正自由教育運動の潮流を受け、教師の自己修養および教育実践の改善を目的に1920年(大正9年)に、徳佐尋常高等小学校で訓導を務めていた三戸雅乙みと まさおとら、山口県阿武郡の南東部(のちの阿東町、現在の山口市)の学校教員が中心となって更新会が結成された[2]。事務局は同じ阿武郡の生雲尋常高等小学校に置かれた[4]

1923年(大正12年)ごろの活動最盛期には、その会員は阿武郡に留まらず、山口県外にも広がり、会員数は300人以上にも昇った[5]。阿武郡内の小学校教員402名のうち、更新会の会員の教員は200名を占め[6]、阿武郡内の小学校40校のうち30校の校長が更新会の会員であった[7]。しかし、1923年(大正12年)に発生した虎ノ門事件の実行犯が、山口県出身の難波大助であったことから、山口県内の教育の在り方が問題視されることになり、行政からの圧力により、1924(大正13)年に解散を余儀なくされた[1][2][8]

活動の内容

更新会の関係者

脚注

Related Articles

Wikiwand AI