書替奉行

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書替奉行(かきかえぶぎょう)は、江戸幕府の役職の1つ。御切米手形改とも称された[1][2]

蔵米取の幕臣(旗本御家人)が受け取る切米(俸禄米)の受け取りに必要な御切米手形(御借米手形)を改める役職。勘定奉行の管轄下で、旗本が務めた[1][2][3]

定員は2名。1人は定役(本役)で、もう1人は大番からの出役となった[1][2][4]

時代によって異なるが、下僚として1人につき手代9人が付属し、役料は天保年間(1830年 - 1844年)では200俵だった[1][2]

役宅は御書替御役所または書替役所と称され、場所は浅草御蔵近辺の浅草新堀端、同元鳥越町、同天王町、同瓦町、同茅町(全て東京都台東区)などの変遷があった[1][2]

設立

寛永19年(1642年)5月、蔵奉行の不正が発覚したため、同年8月16日に勘定頭(後の勘定奉行)を任命し、同月18日に蔵米手形の書替割印をおこなう御切手手形改役を新設した[注釈 1][1][2][5]

同年10月29日には、支給規則の「御切米定書」が以下のように制定された[注釈 2][4]

  1. 百五十俵より下之御切米取ハ、巳之年之米可相渡候事[注釈 3]
  2. 百六十俵より上之御切米取ハ、百俵ニ付三十俵宛、辰之年之米可相渡候事[注釈 4]
  3. 御弓・御銕(鉄)砲衆、其外同心有之衆、手形一枚宛ニ而、御切米請取可申候事[注釈 5]
  4. 百俵から内之衆、御切米ハ霜月朔日から同十五日迄之内、手形を取、御切米請取候事[注釈 6]

御切米手形

蔵米取が給与として与えられる切米(俸禄米)は、春・夏・冬の三季に分けて支給された。俸禄米を領収する手形を「御切米手形」または「御借米手形」と呼んだ[6]

この手形には、直手形・裏判手形・一枚手形・大繩手形といった種類があった[注釈 7][6]

  • 直手形 - 老中若年寄支配下の諸役人が使用した。自己の判(直判)だけでよく、手形の裏判(保証印)は不要だった。
  • 裏判手形 - 頭支配に属する諸役人が使用した。本人の表判と所属頭支配の裏判を必要とした。
  • 一枚手形 - 裏判が必要な手形で、薄禄の者が一括して使用した。表書きに「米何百俵、御弓衆何十人、一人何俵、御弓頭何某」と記して捺印をした後に、頭支配が裏判を捺した。
  • 大繩手形 - 一枚手形と同様、薄禄の者が使用した。「何組与力へ米何十俵、或は何組同心何人は米何十俵」と、頭数を一束にして1枚の手形で領収した。

蔵米受け取りの手続き

脚注

参考文献

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