月印釈譜
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1447年(世宗29年)、世宗の子・首陽大君(後の第7代国王・世祖)が、前年に死去した昭憲王后の冥福を祈るために仏典を引用して『釈譜詳節』を作ったが、これを読んだ世宗が讃歌として続けて『月印千江之曲』を著し、それらを一つにまとめたのが当書物である。その編纂の動機については、世祖の息子、1457年に没した懿敬世子と、父・世宗の冥福を祈ることが理由とされているが、甥・端宗を追放、殺害した悔恨と無常観から逃れるために行ったとするのが定説である[4]。
信眉、守眉、雪竣、曉雲、智海、弘濬、学悦、学祖らの僧侶や、儒学者の金守温といった、当時の代表的な仏学者が編纂に携わった。『月印千江之曲』の一節を本文に、『釈譜詳節』の対応する内容を注釈のように充てる方式で編まれている[3]。