有栖川宮韶仁親王 日本の江戸時代の皇族。有栖川宮7代。二品、中務卿、上総太守 From Wikipedia, the free encyclopedia 有栖川宮韶仁親王(ありすがわのみや つなひとしんのう)は、江戸時代の皇族。世襲親王家の有栖川宮第7代当主。 続柄 有栖川宮織仁親王第2王子 霊元天皇男系曾孫 光格天皇猶子身位 親王敬称 殿下出生 (1785-01-29) 1785年1月29日天明4年12月19日概要 有栖川宮韶仁親王, 続柄 ...有栖川宮韶仁親王 有栖川宮 有栖川宮韶仁親王続柄 有栖川宮織仁親王第2王子 霊元天皇男系曾孫 光格天皇猶子 身位 親王敬称 殿下出生 (1785-01-29) 1785年1月29日天明4年12月19日死去 (1845-04-04) 1845年4月4日(60歳没)弘化2年2月28日配偶者 宣子女王(閑院宮美仁親王の第五王女) 円明院(豊島勝子)子女 有栖川宮幟仁親王慈性入道親王公紹入道親王西園寺公潔万宮游亀宮実種宮韶子女王父親 有栖川宮織仁親王(霊元天皇の皇孫)母親 常信院(高木敦子)役職 二品中務卿テンプレートを表示閉じる 生涯 父は有栖川宮織仁親王(霊元天皇皇孫)。母は家女房。幼名は若宮。妹に楽宮喬子女王と登美宮吉子女王がいる。徳川慶喜の母方の伯父にあたる。 文化4年(1807年)12月に光格天皇の猶子となり、翌文化5年(1808年)3月に親王宣下。同年5月元服し、三品に叙され、上総太守となる。文化9年(1812年)2月、父・織仁親王の落飾により有栖川宮を相続し、中務卿となった。文政5年(1822年)3月、二品。弘化2年薨去。死に際して一品に叙された。 家系 韶仁親王妃宣子女王の肖像 妃:閑院宮美仁親王の五女・宣子女王 第2王女:游亀宮(1821年 - 1823年) 第3王女:実種宮(1822年 - 1823年) 第4王女:韶子女王(1825年 - 1913年) - 徳川家慶の養女(「精姫」を名乗る)、後有馬頼咸正室[1] 家女房:円明院(豊島勝子、実は島岡造酒女) 第1王女:万宮(1809年 - 1810年) 第1王子:有栖川宮幟仁親王(1812年 - 1886年) 第2王子:慈性入道親王(1813年 - 1868年)-12代輪王寺宮門跡 第3王子:公紹入道親王(1815年 - 1846年)-11代輪王寺宮門跡 第4王子:西園寺公潔(1818年 - 1836年) 参考文献 『新修有栖川宮系譜:高松宮藏版』(高松宮編修掛、1940年) 脚注 [1]『三川雑記』(山田三川著)p.393によると当初徳川家慶の養女となって入内するという話があったが朝廷から断られ、その後彦根藩主井伊家、加賀藩前田家への話も持ち上がったが両方とも断られ、有馬家に押しつけられたという。 この項目は、日本の皇室、皇族に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Category:日本の皇族)。表示編集この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles