1988年(昭和63年)、帝国劇場でのミュージカル「レ・ミゼラブル」を明仁(当時は皇太子)が観劇することが決まった。この公演は、資生堂とセゾンが協賛しており、有田は公演警備を担当することになった。公演前に劇場の警備状況を確認したところ、警備が手薄であることに気づき、自ら警備隊長として資生堂社員で警備隊を組織した。芝居が終わり、カーテンコールで主演の滝田栄が感激して涙を流す場面があり、その後、2階ロビーで簡単なパーティーが開かれた。皇太子が乾杯を終えた後、下の階に降りた。当時は皇太子妃だった美智子と浩宮が、まだ2階で他の参加者と話していたため、皇太子は再び2階に上がってきた。その様子を有田は、警備隊長として見守っていた[2]。
その際、皇太子と目が合い、突然「何か言わなくては」と思い、声をかけた。「殿下、半年前に資生堂の研究所をご覧いただき、ありがとうございました。今日はいかがでしたか?」と尋ねると、皇太子は「良かったですよ」と答えた。続けて、私は「社員を代表してお礼申し上げます」と伝え、名刺を差し出した。皇太子は名刺を受け取った。その後、ポケットに手を入れた有田を見た警備のSPが、何か危険な物を取り出すのではないかと激しく反応した。これに驚きつつ、皇太子は「今日はありがとうございました」と有田に伝え、去っていった。有田は社員たちに拍手で見送るよう声をかけ、盛大な拍手の中、皇太子夫妻は劇場を後にした[2]。
その後、資生堂の石野会長から「昔ならあのようなやり取りは打ち首だっただろう」と言われ、皇族に対してはこちらから声を掛けることがないという厳格な礼儀があることを知った。翌朝、資生堂の課長が皇居に記帳に出掛けると、皇太子からの伝言があり、「昨日の社員の方によろしく伝えてください」とのお言葉をもらい、有田は、皇太子の懐の深さに大変感激した[2]。
有田は交友関係が広く、政治家の安倍晋太郎とも交友関係があった。前述の皇太子との出来事の後、安倍晋太郎と会食していたとき、彼から「有ちゃん、皇太子に名刺を差し出したんだって?」と言わた。それを聞いて一緒に食事をしていた1人が、「皇族に名刺を出す人がいるんですか?」と尋ねた。安倍は「俺の知っている限りでは、有ちゃんの他に中島源太郎文部大臣が一度、天皇に名刺を渡したことがある」と言った[2]。
中島は、天皇が参列した国際的なパーティーで韓国の関係者グループに1人だけ加わり、その際に天皇に名刺を渡し日本人であることを証明したらしいと、聞いたことがある。安倍は続けて、「だから本来の意味で、皇族に名刺を渡したのは有ちゃん1人じゃあないだろうか」と言いました。その後、有田は心の中で「もし天皇陛下が私の名刺を取り出して、『有田さん、元気にしてるかな?』と電話してくれたら最高だな」と本人は思っていたと後に語っている[2]。