神奈川大学卒業後、1981年に山梨放送入社し、テレビ・ラジオ等で活動していた。
山梨放送在籍中の2001年4月8日、急性骨髄性白血病のため急逝。享年43[1][2]。有野の死を受け、YBSラジオで骨髄バンクへのドナー登録推進を呼びかけるキャンペーンを実施。同キャンペーンは2002年の日本民間放送連盟賞で入賞した。[3]
アナウンス部の部下であった外山智恵子(現:外山智恵)は、有野と一緒にナレーションの仕事をすると出来栄えが良くなったことを語っており、現在でも有野の存在がモチベーションになることを明かしている[4]。
父親は元警察官であり、過去に韮崎警察署の署長を務めていた他、甲斐市にある剣道教室で剣道の指導を行っていた[5]。弟も山梨県警察本部に勤務する警察官であり、父親と同じく剣道指導者である[5][6][7]。