上野国高崎(現在の群馬県高崎市)で誕生した。幼児期から学問を好んだ。17歳のとき、家で家業を手伝いつつ、家計の助けのために小学校の代用教員をつとめた[2]。その勤務での誠実さが、小学校の校長に気に入られたことで、校長の媒酌により、1885年(明治18年)に服部金太郎と結婚した[2]。
結婚後は、仕事一筋の金太郎を助けると共に、10人以上の子を育成した[3]。母乳ではなく牛乳で子供たちを育て、6歳までは経験豊かな年配者の付き添いを1人に1人づつ付け、6歳以降は学問のある者を付き添いにつけた[3]。女子は東京女学館に徒歩で通わせ、成長後は琴、生け花、茶の湯などを習わせた[3]。芝居などには行かせず、自身も決して芝居には行かなかった[3]。教育に過度に干渉することはなく、子供に否があっても、決して強く叱らず、静かに諭すように話した[3]。
子育ての傍ら、銀座の本店に毎日出向いて、奥向きの仕事の一切を仕切った[3]。服部時計店が東京一の大店となり、数十人の使用人を抱えるようになった後も物見遊山や交際社会には一切顔を出さず、子供たちと雇用人たちの世話に努めた[3]。髪形も服装も無頓着で、堅実に金太郎の仕事を支え続けた[3]。
苦楽を共にした金太郎が1934年(昭和9年)に死去すると、その後を追うように、翌年の1935年に死去した。歌人の佐佐木信綱は、まんの死去を悼み、以下の歌を詠んだ[3]。
- 内によく助けし刀自はわがせこのゐます方にと今ぞましけん
- 春風に老樹の梅ぞ散りにける清きその香を世にのこしつゝ
死去と同年に発行された上毛郷土史研究会の雑誌『上毛及上毛人』では、まんの生涯が紹介され、「婦道の鑑」「高崎市の生んだ烈婦の鑑」と讃えられた[2]。令和期においても「夫に対する内助の功は無論のこと、大勢の子女の養育に献身し、それをつつがなく育てあげた賢婦人」と評されている[4]。
2024年3月にはテレビドラマ『黄金の刻〜服部金太郎物語〜』(テレビ朝日系列)が放映された。服部まん役は松嶋菜々子が演じ、夫を支える芯の強い女性として描写されている[5]。